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 自身の経験をもとに書かれた吉本直志郎(1943〜)のデビュー作。元気な子どもたちの引き起こす悲喜こもごもの事件をテンポよくつづり、好評を得て、全5冊の「青葉学園物語」シリーズとなる。
 舞台は、昭和20年代末の青葉学園。学園は原爆孤児を収容する施設として設立され、その後、様々な事情で家族と暮らせない子どもが身を寄せる場となった。第1章では、学園で育てた豚を売った金で何を買うかが問題になる。六年生の進は、男の子たちを煽動して野球のユニフォームを買おうとするが、議論紛糾の末の投票で敗れ、断念せざるを得ない。第2章では、新しく学園に来た子豚が「肥だまり」に落ちてしまう。進は皆に強いられて決死の覚悟で肥だまりの中に入り、子豚を救出する。それからまもなく、進と病気の父を捨てた母が学園を訪ねてくる。木に登って逃げる進は「かえれ!」と叫んで小便を浴びせかけた。第3章では、学園に手品師の老人と孫娘が興行に来る。その後、忘れ物を届けに行った和彦と修は、親切だった老人が、自分たちを「汚い」「行儀のわるい」とののしるのを聞く。帰り道、2人は「心にもないことをしてしまうこと」、「一歩ゆずって、相手を理解してやること」について話し合い、進の母に対する心情にも思いを馳せる。
 本書のおもしろさは第一に、子どもたちの言葉のおかしさ(面白さ)である。大人の話に出てきた「結婚適齢期」を「けんこんてきれえきん」=珍しい虫と思い込んで採りに行こうとしたり、「右向け、右」を「右向け、左」と言ってしまったりする。知識不足ゆえに起こる聞き間違え、言い間違えなのだが、子どもたちはそれをネタに行動を起こしたり、議論したりし、自分たちで解釈した世界を作り出してしまう。こうして言葉遊びは作品の欠かせない要素となっており、遊びにとどまらない意味を持つことがある。和彦と修が人の心の複雑さを考えるのも、「右向け、左」という言葉をどう解釈するか、というところから始まった。また、遠慮のない悪口雑言や哄笑にあふれる会話をさらに引き立てるのが、非論理的なやりとりを「高等な議論」と呼び、「右向け、左」を解釈してりっぱなことを言う二人を「おかしい」とする、語り手の飄々としたコメントである。原爆や孤児といった背景を垣間見せながら、涙や教訓に落ちず、明るいエネルギーが一貫した強い印象を与えるのは、こうした語り手の性格によるところも大きい。「青葉学園物語」はシリーズが進むにつれ、シリアスさを増していくが、第一作の特徴はやはり、子どもたちの生命力とユーモアだろう。
 シリーズ二作目の『さよならは半分だけ』とあわせて、日本児童文学者協会新人賞を受賞。生き生きとした子どもたちを、ユーモアとペーソスをもって描いた点を評価された。1980年には大沢豊監督が二作のエピソードを併せる形で脚本をつくり、映画化している。

[解題・書誌作成担当] 藤本恵