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 川村たかし(1931〜)の最初の単行本『川にたつ城』(実業之日本社、1968)も奈良県の山村を舞台にしていたが、本書も奈良県十津川村から始まる。1889年8月、奈良県吉野郡十津川村は大豪雨にみまわれた。土石流が襲いかかるうえに地震まであり、山は轟音と共になだれ落ち川をせき止め、川水は逆流して両岸の民家を飲み込んだ。一度に両親を失った9歳の主人公、津田フキは、兄と共に新天地をもとめて北海道開拓にむかう2600人の集団の一員になる。10月から冬が来る北海道の荒地に、見捨てられた彼らは、生き延びるために自然や大地と格闘し、またその自然や大地から生命力を貰い、新十津川村を切り開く第1世代の住民となる。
 フキにモデルがあるのかとの問いに、川村は「史実を除いてはすべて創作である。モデルはない。」(『日本児童文学』1979.2)と答えている。また、全体の構想についての問いには、「いったい何部まで書くのかと問われてもよくわからない。多分六、七巻にはなるだろうと答えるが、全くわからないという方が正しい。あるいは、十巻までいくかもしれないし、上梓した二部で打ち切るかもわからない。一部と二部ではフキの十年を書いた。それなりのまとまりもあるつもりだから、この時点で評価してもらいたいと考えている」(同上)と述べ、結果的には10巻のシリーズになったが、この時点で最初の2冊『北へ行く旅人たち』と『広野の旅人たち』のまとまりを意識していたという。本書出版の反響については、「てごたえはむしろ大人の方で、十津川出身者以外には中年の男性の支持者が多かった」(同上)と読者層の広がりを明らかにしている。「農民小説」「教養小説」と呼ばれるシリーズ全10巻の「文芸版」が出版される所以である。
 シリーズ全体では、過酷な自然と運命に翻弄される主人公フキの80年近い人生を描くが、本書では9歳から11歳までが描かれている。第2巻まで出版した段階では「もし書けたとすればヒロインが九十何歳かになるまでつき合いたいものだ。子ども、孫、曽孫たちがそれぞれの巻の主人公になるだろう。フキの一代記ではない。後につづく世代を見ながらフキは老いていく。」(同上)とも述べている。そこには、波乱万丈だった日本の近代史を生き抜いた、様々な人々の姿が描かれることになった。さらに、「新十津川物語を書き終えて」(『日本児童文学』1989.2)においても、「女の一生としてフキを追うのではなく、彼女自身の子ども時代、子、孫、曽孫の時代と、中心になる四代にわたる子どもの価値観、感性を中心に描出する、その頂点にかって子どもだったフキがいる。生きてなお存在する。そういう設定だった」と語っている。
 川村は丹念な調査をもとに作品の執筆をすすめる作家であるが、本シリーズも例外ではない。取材による記録集『十津川出国紀』(北海道新聞社、1987)が出版されたのがそれを示している。「新十津川村開村100周年記念」として、NHKでドラマ化(1991〜1992)され、新十津川町には「新十津川物語記念館」(1993年開館)がありフキの像がたっている。
 1980年、本書と『広野の旅人たち』(1978)、『石狩に立つ虹』(1980)で第2回路傍の石文学賞を受賞。受賞理由は、「20冊以上の著作を世に送り、自らの作品世界を着実に発展させ、最近の<新十津川物語>はまれに見る大河小説でその作品に貫流するヒューマニズムに対して贈られるもの」だった。1989年には、シリーズ全10巻に対して、産経児童文化出版文化賞大賞、日本児童文学者協会賞を受賞した。

[解題・書誌作成担当] 金永順