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 1946年春の東京大空襲で行方不明になった母と妹、それに8月にあった神奈川県二宮駅で空襲で亡くした父の33回忌の供養に、高木敏子(1932〜)が自費出版した『私の戦争体験』が、金の星社の目にとまり加筆して出版されたのが、本書である。早乙女勝元が本書の解説のなかで、「息もつまる思いでページをくりながら、私は何度か目頭をぬぐわずにはいられませんでした。それほどまでにこの一冊は、読んだ人の心を強くゆすぶらずにはおかぬ力を持っております。小説ではありません。実際にあった出来事なのです。」と述べているように、両国国技館近くのガラス工芸工場の娘だった著者・敏子の戦中戦後の悲惨な戦争体験を描いた作品である。
 空襲を逃れて二宮に疎開していた12歳の敏子は、1946年3月10日の東京大空襲で、東京本所区の工場と実家は焼失、母と妹2人が行方不明になる。父と焼け跡を訪ね半分溶けたガラスのうさぎを見つける。父親が新潟で工場を再開することになり、8月5日、敏子は父と二宮駅に向かう。そこで米軍機の機銃掃射にあい父を失う。兄2人は軍隊に入隊していて連絡が取れない。敏子は二宮の知人や友達に助けられて、父親を火葬に付し、お寺にお骨を納める。次兄が復員して来るが、家が建つまで仙台の父親の親戚に預けられる。慣れない田舎の農家での生活は厳しく、学校へも行かせてもらえない。東京へ逃げ帰る。やがて養子の長兄が復員してくるが、遺産をもらって実家へ帰っていく。そんななかで、敏子は挫けないで明るく生きていく。
 本書は、1978年、児童福祉文化賞奨励賞、JCJ賞奨励賞を受賞。また第24回青少年読書感想文課題図書に選ばれた。1980年には、児童書としては珍しい100万部を突破するロングセラー(第74版挿入の金の星社チラシ)となる。1981年、機銃掃射で父を失ったJR東海道線二宮駅前に、「平和と友情のシンボル」として「ガラスのうさぎ」の少女像が、平和を願う人々の浄財によって建設された。
 多くの読者を獲得したロングセラーではあるが、厳しい批評もある。津田妍子は、「主人公を悲劇にヒロインに仕立ててしまった、第二次世界大戦の本質についての客観的な記述がないではないか」(『日本児童文学』1987.5)と疑問を呈しながら、8年後は『もういや「お国のために」には─ガラスのうさぎを溶かさないで』(岩波ブックレット65)に高木敏子の成長を認め、「人生の書として一人でも多くの子どもに手渡したい作品」だとする。これに対して、あかねるつは、「戦争の状況は描いたけれど、著者自らの戦争観の追求が希薄なのだ」(『子どもの本から「戦争とアジア」がみえる』1994)と厳しい。
 1986年、講談社英語文庫に、1983年、ドイツ語訳、2003年にはスペイン語訳が出版され、また「ガラスのうさぎ25年の思い」(『朝日新聞』2002.12.21.朝刊)によると、「ドイツ語、中国語、タイ語、ベンガル語、英語、スリランカ語、スペイン語、ハンガリー語、マラーティー語(インド)、」に訳されているという。1979年には、映画「東京大空襲 ガラスのうさぎ」(橘祐典監督)が公開、1980年にはテレビドラマ化もされた。2000年12月には新版が刊行され、旧版と新版を合わせて148刷(2004年4月現在)となっている。

[解題・書誌作成担当] 松山雅子