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 老朽化し、時代遅れとなった蒸気機関車の運命を描いたこの絵本は、日本人の作家による乗り物を主人公とした最初の物語絵本でもある。
 田舎の町の蒸気機関車やえもんは、長い間働いたので年をとり、くたびれていたが、それでも毎日客車を引いて都会の駅と田舎の町を往復していた。都会の駅にはレールバスや電気機関車、特急など最新式の立派な乗り物がいてやえもんを馬鹿にする。からかわれて腹を立てたやえもんは怒りすぎて火の粉を吐き出し、線路沿いの稲村に火をつけてしまう。火事を出したやえもんはくず鉄にされることになる。そこへ通りがかったのが交通博物館の人。やえもんは博物館の展示物として第2の人生を歩むことになる。
 漫画家の岡部冬彦(1922〜)が描くやえもんは軽いタッチであるが、表情が豊かで大変魅力的である。やえもんだけでなく、登場する他の乗り物にも全て顔が描かれている。『やえもん』の成功は「既成の<童画>に対する鋭い警鐘」(1977)と安藤美紀夫が述べたように、それ以前の日本の絵本の主流であった童画とは一線を画した岡部の絵は、日本の絵本の新しい時代の到来を告げていた。
 文を書いた阿川弘之(1920〜)は、蒸気機関車やえもんを主人公に「人生」を描きだすことに成功した。世代交代により舞台から退場していくものの哀しみが描かれるが、同時に老後の人生、それも再び子どもたちの人気者としての新しい舞台も用意されているところがこの作品のよさであろう。阿川も岡部も乗物が大好きだったというが、蒸気機関車への愛情が感じられる作品である。
 翻訳ばかりという「岩波の子どもの本」の印象を覆すために、日本の絵本が企画された中の1冊が本書となった。当時他社の絵本に比べ高めであった定価を据え置くために全体のページ数を減らすという苦肉の策がとられた。その結果、本書は、表紙見返しにまで本文や絵が入ることとなった。また、単色と多色の印刷が見開きごとに交互になっている。
 神宮輝夫は本書を「戦後の傑作の一番手」と位置づけ、「基本的な精神をアメリカ絵本にのっとりながら、純粋に日本的な創造であった」(1974)と述べている。一方、物語としての絵の流れに言及し、「その魅力はページごとにとどまっていて、絵自体が物語を構築するところまで進みでてはいない」(安藤美紀夫、1977)という絵の評価もある。
 その後、55刷で版が痛んだため、絵を原画からとりなおし、岡部の指示で微調整を行って2001年9月改版、その際、見返しも変えて現在に至っている(初版と改版を合わせて2004年11月現在60刷)。

[解題・書誌作成担当] 中川あゆみ