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 江戸時代の駒込を舞台に、少年常七が植木屋に奉公をはじめてから、一人前の植木職人になるまでを描いた長編作品。史実と虚構をとりまぜて、江戸庶民の生活を情緒豊かに語るとともに、自然をいつくしむ少年のナイーブな心情を描いた歴史物語である。
 作品は、語り手「わたし」が、常七の書き残した「おぼえ書き」をもとに、その生活を物語るという形式で進んでいく。「うえげんにほうこう」との記録から始まる「おぼえ書き」によれば、常七が植木屋源吉のもとに奉公に出たのは、文化3(1806)年。植源には、親方の源吉のほかに、おかみさんやその子どもたち、兄貴分の職人たち、そして子守りの少女さよがいた。とりわけ常七は不遇なさよを案ずるが、まもなくさよはあっけなく病死し、生のはかなさを知る。そのうち、江戸には菊作りが流行し、常七は地味で複雑なキクの世話を通して、生命を育てることのおもしろさにのめりこんでいく。しかし、花を育てることよりも、見世物的な趣向を競い合う菊作りの風潮に常七はひそかに疑問も抱く。むしろ常七は、当時めずらしかったサクラの花を江戸じゅうに咲かせることを夢見つつ、黙々と修行を続けていくのである。やがて一人前となった常七は、植源の一人娘お千花と結婚し、仕事のかたわらサクラの苗を育て、江戸の方々にサクラの花を植えていく。この常七が広めたサクラこそ、現在日本中にあふれるソメイヨシノではないかとの想像をふくらませて、物語は閉じられる。 
 いかにも、史実を追っていくような江戸庶民のリアリティあふれる生活ぶりが、まずはこの作品の魅力だが、随所に引かれる「おぼえ書き」も、ぐずで地味だが花作りにかけては一流の素質をもつ常七というキャラクターも、じつは虚構である。その虚構を、『江戸切絵図集』『武江年表』といった現存する資料や現地での聞き書きなどが支え、虚構と事実を巧みに融合させたユニークな構成がまず注目できる。墨絵風の斎藤博之の挿絵も、江戸情緒を豊かに伝えている。また、デビュー以来、作者岩崎京子(1922〜)が持ち続けてきた動植物とのかかわりを通した生命への深い関心も、この書き下ろしの作品にみごとに結実している。高く評価され日本児童文学者協会賞(1974)を受賞した。 
しかし、「常七が江戸後期という時代に生きた必然性をほとんど感じることができない」(長谷川潮、1974)、「<時代状況>拒否の作者の目がひそんでいる」(上野瞭、1979)といった評に見られるように、大火や飢饉、外国船の出没など徳川幕府体制が崩壊に向かいつつあった時代背景と、常七の生活はたしかに無縁である。おそらく作者は、大状況からではなく、封建的な奉公の日々に黙々と耐えつつ花を咲かせるかけがえのない一人の人生から、いのちの尊さを伝えることをめざしたのだろう。

[解題・書誌作成担当] 奥山恵