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 それまでの日本の現代児童文学にはなかった、時代を表現する子ども像を描き出した短編集。4編をおさめる。皿海達哉(1942〜)の最初の短篇集である。最初の長編『にせまつり』と同じ年に刊行された。どちらも、大学在学中に書かれたものである(『現代児童文学作家対談(8)』偕成社、1992)。
 『少年のしるし』というタイトルのもとにまとめられた4編の短編の主人公は、いずれも、平凡、没個性的な子どもたちだ。巻頭の「横山鉄雄の一週間」の主人公は、「クラスで三ばんめに弱い男」である。「跳び箱」の主人公、のぼるは、体育の授業がきらいだ。とりわけ、跳び箱が不得意である。「マラソン」の鎌吉は、生徒会長で勉強も運動もよくできる沢田と対比して書かれている。「空気銃」の芳夫は、五郎にいじめられつづけ、何のプライドももてないでいる。
 1959年に成立したと考えられる日本の現代児童文学の出発期には、たとえば、松谷みよ子『龍の子太郎』(1960)や、今江祥智『山のむこうは青い海だった』(1960)などに代表されるように、主人公には積極的な個性があたえられ、作品は未来への明るい希望を語った。『少年のしるし』は、それらとは明らかにちがう傾向を示している。作品の主人公には、英雄性がとぼしい。それぞれの物語は、そうした主人公たちが、それでも成長していくすがたを描こうとするが、その道すじには、紆余曲折がある。マラソン大会でこっそり近道をするような気の弱さをかかえている「マラソン」の主人公は、自分で自覚的に「成長」をえらびとっていくのではなく、偶然性にながされるようにして成長してしまう。「空気銃」の主人公は、「成長」のきっかけすら、つかむことができない。しかし、現実の子どもたちの多くがむしろ平凡であることを思えば、『少年のしるし』が書こうとしていることの意味も見えてくる。『少年のしるし』は、平凡な子どもたちの人生もまた、かけがえがないということを語っている。
 作者自身は、のちに、自分は「鳴けないうぐいす」を書きたいと比喩的に語っている(『風のむこうに』あとがき、1980)。それまでの現代児童文学が、よい声で鳴くうぐいすのような突出した個性を書こうとしてきたなら、皿海達哉は、鳴くうぐいすのかげで鳴けないでいるうぐいすを書こうとしたといえる。そして、それが『少年のしるし』の新しさでもあった。
 『少年のしるし』の池田龍雄による挿絵は、少年たちの心と物語の屈折をよく表すようなものになっている。

[解題・書誌作成担当] 宮川健郎