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 作者・久保喬(1906〜1998)の故郷、四国の海を舞台にした民話風の連作短編集。海と共に生きる人々の世代を超えた実直な暮らしが土地言葉で語られている。
 標題作「赤い帆の舟」は初代と二代勘兵衛の物語。200年程前の初代は島一番の漁師で豪胆、その上、褒美に遣わされた漁場を惜しみなく島人と共有するおおらかさだった。二代勘兵衛も漁の腕は良いのだが、海が荒れることを察知すると舟に赤い帆を揚げ、他の舟にも引き上げるように知らせることから臆病者扱いされ、ついたあだ名が「やめとけ勘兵衛」。しかし網元と領主の癒着に漁師達が一揆を計画したときに、村々を廻り賛同を呼びかける役を引き受けたのも彼だった。一揆は成功したものの、一揆の首謀者探しが始まり「赤い帆の舟」がその目印とされた。嵐の前になると勘兵衛は危険を承知で赤い帆を揚げ続け、遂に首謀者と見なされ鉄砲で撃ち殺されてしまう。その後、沖に赤い舟が現われると、嵐や凶事が起きると言い伝えられるようになった。第7話「小船の旗」は現代の物語。ここで第1話の「赤い帆の舟」が再び登場する。赤潮の発生は工場の廃液が原因と漁師達が抗議に出かけようとしたとき、おじいの孫杉男だけに「赤い帆の舟」が見えた。町に出たおじいには集まってきた小舟が「赤い帆の舟」に見えた。作品世界は、江戸時代から昭和初期の物語を経て、今日へと続いている。過去から現代への時間の流れの中で「赤い帆の舟」の登場は象徴的であり、絶妙の構成だ。
 発表された1970年代初頭は、戦後の第二次民話ブームと言うべき時期で、本書も「現代創作民話集」の一編だった。久保は「あとがき」で、民話の舞台には農山村が主流で、なぜか海を舞台にしたものは少ないと指摘した。そのため、久保は自身も聞いたことのなかった海の民話を自らの筆で生み出したのである。また、桜井誠の力強い挿絵が民話風の世界を豊かに彩っている。
 本作は、1973年度日本児童文学協会協会賞を受賞。選評を見ると、海を主材とした新しい優れた創作民話であること、民話の語りと方法を使いながら現代文学としての力と格調をあわせ持っていることに評価が集まっている。民話ブームに沸く当時であるからこそ、その独自性により高い評価がなされたのだろう。

[解題・書誌作成担当] 小野由紀