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 連作短編集『でんでんむしの競馬』は、安藤美紀夫(1930〜1990)の代表作である。「手品師の庭」以下8編で構成され、表題作「でんでんむしの競馬」は、3番目に収録されている。本作品集は、日本児童文学者協会賞、野間児童文芸賞、赤い鳥文学賞、サンケイ児童出版文化賞、児童福祉文化奨励賞を受賞している。
 作品の舞台は、大学卒業までを過した戦時下の京都の路地である。創作についてのインタビューに「自分の幼少年体験が基点になるような気がするんです。」(『こどもの本』1980.3)と答えている。また、イタリア児童文学の研究者でもあった著者は、「イタリアの空想物語というのは貧困≠ェ土台にあり、そこから空想していくというのがあって」(同上)日本人の中流意識を基盤としたイギリス児童文学からしか空想物語をみようとしない傾向への異議があったと述べている。
 主人公は路地に住む子どもたちで、彼らは、チョコ、ハゲ、キンなどのあだ名で呼ばれている。貧困と差別の閉鎖状況の中で、エネルギッシュに生きる子どもたちの夢はつつましく、現実と地続きの幻想である。「手品師の庭」のハゲとチョコは、お菓子の雨を降らせてもらえると信じて泥棒の手伝いする。「星へ行った汽車」のデベソとキンは、汽車が自分たちを路地から連れ出して一番星へ連れて行ってくれると信じる。「ほらふきリーやん」のリーやんの夢は、天の川のような大きな川で泳ぎたいというものである。「かいことり」のハゲは、トンボ釣りのしけ糸が欲しくて蚕を捕まえようと考えるが、蚕は頭が蜘蛛で胴体が蓑虫のような虫で、天神さん森にいると考える。
 灰谷健次郎は、『でんでんむしの競馬』を「子どもたちの日常をさりげなく描きながら、鋭い問題の提示がなされている」(『日本児童文学別冊』1979.1)と指摘し、「もう一つの魅力は、子どもの楽天性と庶民性の融合です。」(同上)と評価している。また、安藤美紀夫を「被差別者を被害者としてのみ描くのではなく、彼らのうちなる心に入り、そのやさしさや人間性をさぐろうとする誠実さを持ちあわせた数少ない作家」(同上)と評価している。また、長谷川潮は、「最下層民衆としての路地の人々が社会から何物をも受け取ることがないのに、軍隊、警察、学校として現れている公権力が、生命を含めてかれらのすべてを奪っていることを、シンボル操作を多用しつつ軽妙な語りのなかで明らかにした。」(『戦後児童文学の50年』1996)と評価し、「キーワードが<子ども>と<最下層民衆>であることにおいても、この作品は70年代の傾向を早い時期に代表するものだった。」(同上)と位置付けている。

[解題・書誌作成担当] 松山雅子