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 少年時代の体験をもとに書かれた関英雄(1912〜1996)の自伝的作品の代表作だが、少年の苦悩や成長という私的な状況にとどまらず、社会状況を巧みにリンクさせ、リアルな筆致で描いている。
 物語は、主人公・倉谷昌男の9歳から15歳(数え年)、1920年から1926年までを追っている。父を亡くし、母と2人で暮らす昌男は、小学校卒業後、貧しさのために中学進学を断念し、官庁で給仕の仕事をしながら夜間学校に通うことになった。一方で当時評判の児童文学雑誌『赤い鳥』や『童話』を読んで小川未明に引かれ、自分でも童話を書いて投稿し、採用されるようになる。しばらくすると、上下関係が厳しい職場でこき使われる給仕の仕事に嫌気がさし、「つめこみ主義」の学校にも行く気を失って、書店の小僧に転職する。しかし、住み込みで「一日じゅうはたらいて、食べて、あとは寝るだけ」という生活にも耐えられず、3日目に脱走。次に楽器製造店に勤めるが、「封建的な徒弟制度」に我慢できず、ここも脱走。3軒目の店も、「あんな薬屋にいたんじゃ、童話なんて書けない」と逃げ出してしまった。結局、祖父の働く電機会社で給仕をしながら夜間学校に通い、童話を書くという生活に落ち着く。電機会社で出会った、労働運動をする職工の「がめちゃん」の話を聞いて、労働条件の矛盾や不公平に気づき、会社組織や「給仕」という自分の職分について考えはじめた。
 貧しいながらも母親と周囲の人々の善意に守られていた昌男の苦労は、関東大震災によって家を失い、伯母の家に預けられてから始まる。昌男は吝嗇な伯母の悪意に耐え、就職後は、官僚的な上下関係や、商店の徒弟制度にさらされる。ここで給仕や小僧におとなしくおさまらず、「岩にかじりついても」という上昇志向も見せず、童話を書くことに憧れて脱走、消極的な抵抗を繰り返すのが昌男の特徴である。昌男に初めて生活苦を感じさせた大震災を機に日本経済は不況に陥り、一方で労働運動が盛んになる。そうした状況下、右往左往する昌男の姿を見る間に生じるのは、弱い昌男への反発ではなく、ため息と共感である。そして共感から派生するのは、社会へのもやもやとした疑問ではないだろうか。それは、昌男の就職先で起こる労働運動という事件を、読者に無理なく受け入れさせる。ヒーローらしからぬ昌男から受け取れる社会批判が作品全体の特徴になっている。
 初出は同人誌『旗』。菅忠道ら親交のあった児童文学仲間に配られた。作者は、その後も児童文学の評論家として盛んに活動しながら構想を持ち続け、16年後に全面改稿して単行本化。個人の経験に偏っていた記述が普遍性を持つ作品に改められたという。サンケイ児童出版文化賞、日本児童文学者協会賞、赤い鳥文学賞を受賞。気弱な主人公像には賛否両論あるが、人物と社会の確かな描写力が高い評価を受けた。1979年には講談社文庫として刊行。

[解題・書誌作成担当] 藤本恵