羽、虹、花、星といった小道具をちりばめて、美しく幻想的な世界をつくりだす作品である。
 かざぐるま売りのおじいさんは娘を事故で亡くしたが、「むすめは羽のある男と結婚し」たと言う。誰も本気にしない中、ただ一人おじいさんの言葉を信じる「わたし」は、その理由として「みなみ」という少女の思い出を語る。みなみは幼いころ喘息を治すために、海岸の村で暮らしていた。南風の吹くある日、みなみ一家の隣に、青羽家の人々が越して来る。彼らは、鳥を自由に操ったり、空を飛んで見せたりする手品で生計を立てている。末息子の一郎は、みなみの兄「ひがし」と小学校で同じクラスになった。一郎は学校でいじめられ、心の病気になるが、みなみに癒される。また、みなみが病気になったときには、青羽一家の協力で一郎とひがしが「空のおかし」を採りに行って食べさせ、命を救う。兄妹は一郎と様々な不思議な体験をするが、一年後、十歳の誕生日を迎えた一郎の背中に羽が生え、一家は来たときと同じく、吹く風とともに去る。ひがしは泣くが、みなみはまた会えると信じて悲しまない。大人になったみなみも青い羽を持つ人と結婚し、去っていった。
 みなみは「ちいさくて、かる」いので、青羽家の手品の舞台に上がれる。三つ年上の兄より「あの子にちかいくにで生きている」、「みなみの心のほうが、まだやわらかく、かるい」ために、不思議な事件や人々を自然に受け入れることができる。年齢の低さ、体の小ささが、異世界を受容し受容される条件として価値付けられるのである。いわゆる<子どもの心>を持ち続けるみなみは一郎と別れる必要がないが、ひがしは「ちがうもの」として離れていかねばならない。南風とともに去来した一郎と「みなみ」との同質性、「ひがし」との異質性は、その名に端的に示されているだろう。異世界を生きる条件として<子どもの心>を置くのは、『ピーターパン』にも見られるファンタジーの約束事である。本作品には、出会いと別れ、純愛といった作者に特徴的なテーマと同時に、国内外のファンタジー作品と重なるモチーフを指摘できる。発表当時はリアリズム児童文学の比重が高かったこともあり、それとの対比の中で「児童が現実社会の中でかかえている問題」が「正しく反映されない」(大岡秀明、1972)と批判されたり、「ユニークな存在」(西田良子、1979)と評価されたりしている。リアリズム文学との比較ではなく、ファンタジーやメルヘンの系譜の中で読み直すことも必要だろう。
 本書の含まれるシリーズ「どうわの本棚」は、幼年童話の刊行がなかった理論社のために、書き手側が発案し、それぞれ書き下ろしたものである。挿絵の渡辺藤一は作者・立原えりか(1937〜)の夫で、立原作品の挿絵・装幀を多く手がけた。やわらかい線と透明感のある色彩の挿絵は、立原の作風とよくマッチしている。1975年に角川文庫としても刊行された。

[解題・書誌作成担当] 藤本恵