表紙 本文 挿絵

(画像をクリックすると大きな画像をご覧いただけます)
 第二次世界大戦末期に学童疎開し、逼迫した生活を余儀なくされる少年たちの姿を克明に描き、これまで描いてきた子ども像やタブーを打破した新しい作品と位置づけられる。
 大阪で暮らす源久志ことボクちゃんは、国民学校の4年生。担任の渡利先生にも信頼される級長である。ボクちゃんは学校で、集団疎開とは立派な兵隊となるべく訓練を受けに行くことだと訓話され、母や姉妹の反対を押し切って島根県へ疎開する。疎開生活が始まると、同級生の牧野が、いじめや脅迫で次々に子分を増やし、ボクちゃんを圧迫する。度重なる牧野の挑発を、腕力に自信のないボクちゃんは受けて立つことができず、先生や級長としての権威を利用して逃げる。やがてボクちゃんは級長の座を追われ、優等生という肩書きに隠れていた自分の卑小さを痛感することになった。その間にも戦局は悪化、空襲が始まり、食料不足が進む。少年たちは食べ物を得るために盗みをはたらき、弱者を虐げ、強者におもねる。極限状態の中でボクちゃんは、信頼していた先生や政府の言葉の嘘や裏が見えるようになった。空襲にあっても、将来兵隊になっても、結局は「殺される」のだと気づき、母のいる大阪へ逃亡を決意する。それを助けてくれたのは、親友の朝比奈と、仇敵の牧野だった。
 戦時においては、大人だけでなく、子どもも醜い。牧野が級友を支配するためにめぐらす策略は老獪であるし、良い学級を作ろうとするボクちゃんの優等生ぶりは鼻につく。しかし、「不良」の牧野は、大人の都合のよさや優等生の偽善を見抜き、いじめられたボクちゃんは自分の実態を知るにつれ、優等生の自分が拠って立っていた先生や新聞の言葉の嘘に気づく。疎開生活が顕わにした醜い人間性をぶつけあいながら、少年たちは「生きる」意識を強くし、一方、戦争を正当づける大人の言葉が力を失っていく。陰謀や暴力にまみれるなか、聖なるものとして輝いているのが、少年たちの恋い慕う母である。母性愛じたいは、より多くの子を戦争に送り出すために政府が粉飾、利用したものでもあるのだが、ここでは母子の情愛が、戦争で死ぬのではなく、生き抜くための拠り所となっている。
 作品の原型は、奥田(1934〜)が大学在学中に書いた短編だという。増補・改稿して雑誌『新日本文学』や『朝日新聞』に投稿するが、認められないまま構想を維持。数年後、同人『こだま』に連載第1回として載せたものが今江祥智の目にとまり、連載を中止。単行本として出版を企図して4年後の1969年、ようやく刊行された。83年に漫画化(政岡としや絵、ほるぷ出版)、85年には大沢豊監督が映画化、絵本『お母ちゃん お母ちゃーん むかえにきて』(梶山俊夫絵、小峰書店)としても刊行された。映画はベルリン映画祭で賞を受け、その他の映画祭にも出品されて、国際的な広がりを見た。戦争だけでなく、いじめ等の問題を含み込み、現代性の高い作品として評価されている。

[解題・書誌作成担当] 藤本恵