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 1987年(寛政元年)、アイヌ民族は和人(日本人)の搾取と抑圧からの解放を求めて、国後・目梨の乱を起こす。本作はその戦いを描いた物語。前作『ヤン』(講談社、1967)と並ぶ、前川康男(1921〜2002)の代表作であり、戦争や国家をテーマにすえている点でも本作は「『ヤン』から生まれたもの」(作者、1988)である。
 クナシリ(国後)島のトープト村を治めるツキノエアイノは、かつてはどんな異国人が島へ侵入することも認めず、命がけで戦ってきた。しかしシサム(日本人)の国力を知り、貧しい島民の生活を向上させる目的から、シサムとの交易に踏み出す。だが蝦夷から渡ってきたシサムの商人たちはわずかの米や酒でアイヌ人を酷使するようになる。ツキノエアイノの方針に反発する息子のセツハヤは山奥に自分達だけの村を創ろうとするが、留守中に村人たちが連行されてしまう。救出のためにシサムの番屋を襲うセツハヤに、他のアイヌの若者たちが同調、さらに蝦夷のメナシでもアイヌ人が蜂起する。 長い狩りの旅から戻ったツキノエアイノは、蜂起の指揮をとるセツハヤを説得、セツハヤは島民を守るために投降する。かつてセツハヤの鉄砲疵を直したブキテマアイノ(実はシサム)が、セツハヤ達の処刑中止を求めた赦免状を持って駆け込んだ時、すでに処刑は終わっていた。
 前川康男は1943年に学徒出陣で中国へ行き、そこで敗戦、46年6月末まで抑留された後に復員する。その後、北海道で人形劇団活動等をしていたが、そのとき根室で国後島を見、「なぜ人間は憎しみ合い、殺し合うのか……激しい憤りをおぼえる」(自作年譜、1970)。この憤りが本作執筆の動機になったという。ブキテマアイノが、自分はアイヌでもシサムでもなく人間だ、と答える最後の場面に、作者の思いは凝縮されている。さらに、セツハヤが愛したシアヌが、シサムであるブキテマアイノとアイヌ人の女性の間に生まれた娘であったこと、アイヌの窮状に理解を示すシサムの侍、小川弥左衛門を登場させるなどの点に明らかなように、シサム=悪、アイヌ=善、という単純な公式をとらない構成も、物語のリアリティを深める要因になっている。床ヌブリの木版画には迫力だけでなくぬくもりがある。また、アイヌの世界を視覚的に伝えることで、読者の読みの助けになっている。
 本作は出版の翌年の1970年、テーマのみならず、その「叙事詩的な表現」(久保喬、1970)が高く評価されて日本児童文学者協会賞を受賞した。また、同年、「青少年読書感想文コンクール」の課題図書にも選定された。同叢書名、同装幀では第2版までしか確認できなかったが、その後、児童文学創作シリーズという叢書に入り、一回り小さい大きさで出された(初版、1976.12)。こちらは11版(1984.11)まで確認している。

[解題・書誌作成担当] 相川美恵子