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 奈良・大和の村を舞台にしたいたずら者のタヌキと村人たちの関わりを大和の土地言葉でユーモラスに語った創作絵本である。
 べんてはん(弁天さん)の森のごろはちは、いたずら者のタヌキである。村人たちはいたずらされないように「ごろはちだいみょうじんさまさま」と呼んであぶらげを供えていた。村にも鉄道が敷かれることになり工事が始まる。鉄道開通の日、遠くからやってくる汽車を見て、集まってきた村人たちはごろはちのわるさと思い込み、線路上に飛び出す。あわてたごろはちは汽車の前に立ちはだかり村人たちを救ったのだった。「村人を守るために命を落としたタヌキ」という悲劇がなんとなくおかしみをもって描き出されている。最終場面は、死んだごろはちダヌキのためにべんてはんの森に社を建て、お稲荷さんの旗を立ててあぶらげを供え、お寺のご院さんがお経をあげにくる、というちぐはぐな場面で「めでたし めでたし というたかて、なにが めでたいのやろ」という作者のつぶやきで幕を閉じる。
 本書の舞台は中川正文(1921〜)の故郷の村である。ごろはちというタヌキも実在したようだが、この作品は「伝統的な語りの文芸の要素」(斎藤寿始子、2000)を持った創作である。何よりもちぐはぐさが滑稽味、おかしさを生み出している。中川が「さまざまな信仰や迷信や習俗が渦まいた」(『こどものとも』1969)というような村の世界には、神も仏もキツネもタヌキもごちゃまぜで、えらいもんはえらい、という大前提があったようだ。大明神とたてまつってあぶらあげを供え、ご院さんがお経を上げにくる、村人たちはちぐはぐと思わず、おおらかで全てを許容しているところが、日本人的であり、またその感覚が読者に共感できるからこそ、面白さを感じるのであろう。もう一つの魅力は、ごろはちの描かれ方である。いたずらでひょうきん者のそのタヌキ像が、画家梶山俊夫(1935〜)によって生き生きと描き出され、舞台となる村の風景と共に読者を作品世界に引き込む力を持っている。いたずらもするけれど、悪気のないこのタヌキに愛着を感じる読者は多い。
 地の文もすべて大和の土地の言葉で書かれたことについて中川は「わたしの心のなかでは、こういう風景や物語の一切が、こんな故郷の言葉で実在するのだから、しかたなくそうしたまでなのである」(上掲書)と述べているが、土地の言葉でかかれた絵本は発行当時は大変珍しいものであった。
 本書は月刊予約絵本『こどものとも』(1969.1)と同時に「絵本“こどものとも”特製版」として発行された。月刊予約絵本版には、見返しと扉がないため、本書の第1ページ目にある文章と絵がない。その後特製版は「こどものとも傑作集」(1969.8)となって刊行された。
 「初めから絵本物語として作られた一つの成功作品である」(鵜生美子、1977)、「文も絵もそれぞれがひじょうに大胆な試みをしながら、その個性的な二つの表現がうまく支えあい融けあって、独創的な絵本の世界をつくりあげ、日本の絵本の記念碑的な作品となりました」(松居直、1995)と現在に至るまで高い評価を受けている。

[解題・書誌作成担当] 中川あゆみ