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 「くまの子ウーフ」は、北方を舞台に雄大なスケールで描かれた空想冒険物語。『ちびっこカムのぼうけん』(理論社、1961)で高い評価を得た神沢利子(1924〜)の新たな挑戦として執筆された。「起伏のあるストーリーは勿論面白い。しかし、ここでストーリー性によりかからず、もっと端的にものの本質に迫る仕事はないものか。─中略─幼年童話の中で、この詩に近い仕事を─(というのは前述のストーリー性をはなれた云々)と『くまの子ウーフ』でそれを試みた。」(『日本児童文学』1970.3)と神沢利子が述べた、短編連作集『くまの子ウーフ』は、彼女の代表作のひとつになっている。
 中川正文が、「空想をより豊かに拡大させていくために、いつもその空想の展開のバネとなる、まったく具体的な現実を仕掛けとして用意している」(『日本児童文学別冊』1979.1)と指摘する、周到に考えられた構成をもつ9篇の作品からなる。井上洋介の独特の挿絵が、みごとに作品のイメージを広げる役割を担っている童話集でもある。
 「まえがき」で「ぼくは くまの子 うーふーって うなるから、名まえが くまの子 ウーフ。」と紹介された主人公ウーフは、空想好きの知りたがり屋である。ともだちの狐のツネタや兎のミミちゃんたちと繰り広げられる物語は、一見必然性のない事柄が密接につながっていく不思議な論理性をもつ。
 「さかなには なぜ したがない」では、木に蜂にそして魚になりたいと願うウーフが、ふなにからかわれて驚いて逃げ帰り、お母さんに訳を聴いて自分が「くまの子でよかったなあ。」と思う。「ウーフは、おしっこでできてるか??」では、素材に興味を持ったウーフが、それを生き物にまで拡大して、鶏は卵でできているとの結論に至る。それをツネタに援用されて、ウーフはおしっこでできているといわれ傷つくが、考えたり感じたりする自己の存在に気付き「ウーフは、ウーフでできてるんだよ。」と言う。「ちょうちょうだけに なぜ なくの」では、牛肉を食べながら、蝶々の死だけを悲しむことの矛盾をツネタに指摘されウーフは驚く。「くま一ぴきぶんは ねずみ百ぴきぶんか」では、水をもらいに行って、熊は鼠の百匹分だから困ると言われたウーフが、お父さんに「ねずみは、ねずみ一ぴくぶん、きつねはきつね一ぴきぶん、はたらくのさ。だれのなんびきぶんなんかじゃないんだよ。」と言われ安心する。これら自分が熊の子であることに自信を持ち、自分が自分であることを確認していくウーフの物語を、神沢利子は「端的にものの本質に迫る仕事」として幼い読者に手渡した。『くまの子ウーフ』は、子どもは子どもなりに、大人は大人として楽しみ、満足できる、人間の根源的な問いを真正面から描いた数少ない幼年文学である。
 2001年9月に、収録作品の変更をせずに改訂新版を発行、同年11月で3刷を出した。また『くまの子ウーフ』は、1977年5月には、ポプラ社文庫に、1978年6月に講談社文庫に入った。

[解題・書誌作成担当] 畠山兆子