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 かつおきんや(1927〜)の歴史児童文学。翻訳や短編の発表を経て、本作が初めての長編となった。主要登場人物は加賀藩の農民たちであるが、一地方の出来事として物語を完結させるのではなく、地方と中央、過去と現在など縦横に問題意識を広げながら、歴史を構造的・科学的に描き出した点で大きな意義を持つ。
 天保9年、加賀藩石川郡の村役たちは数年来の凶作に苦しんだ結果、年貢を減免してもらおうと連名で実地見分の願い状(見立て願い)を提出する。松吉の父親である間兵衛がまとめ役を務める西念新保も、この願いに名を連ねていた。願いは聞き入れられたかに見え奉行が村を訪れるが、これは仕組まれた罠であった。予め出来のよい田を下見させてあった侍たちは、お上に逆らったという理由で村役たちを幽閉し、見せしめとして利用する。松吉や正市たち村の子どもは「子ども西念組」を結成し、牢に薬を届け、歌をうたって大人たちを勇気づける。その間にも厳しい年貢取り立てが続くが、西念では年貢を半分だけ納め、種もみを残して残りは全て売り払うという抵抗に出た。一方、牢にいた父親たちはある事件を耳にする。江戸城の西の丸が火災で全焼し、再建のために加賀藩に桁違いの分担金が課せられたというのだ。苦しい財政事情にあえぐ藩は、見立て願いを利用して年貢の取り立てを強化しようと企んだのだった。間兵衛たち3つの村の村役とその家族、総勢100人以上の人々は、越中の五箇山への流罪を命じられる。
 作品は「おらの名は、松吉。イノシシ年生まれ」と書き出され、12歳の少年・松吉の一人称で事件が語られていく。少年の視点から歴史を描いたことも大きな特色の一つである。かつおは金沢市内の中学校で教師をしていた1953年に「天保義民の碑」に出会い、勤務先の郷土クラブの生徒とともに碑文を調べ始める。この時の生徒たちの姿が、松吉たち村の子どもの人物造型に反映されているのであろう。子孫への聞き書き、過去帳など古文書の調査、現地取材など、以後10年以上の年月をかけて綿密に調べ上げた結果をまとめあげたのが本作であった。かつお自身はのちに、史料に記述されていない当事者の「心の動き」を描いた作品こそが、史料の精神を次代へと伝える力になると述べている(1983)。実証的な調査を踏まえつつフィクションという方法が選ばれたのは、こうした思いからであろう。本作は第16回サンケイ児童出版文化賞を受賞し、第15回青少年読書感想文全国コンクール課題図書に選ばれた。なお、牧書店版には「その後の人びと」と題されたエピローグがあるが、後の偕成社版(1982年)では割愛されている。この部分は後に『五箇山ぐらし』(1975)と『雪の人くい谷』(1982)という続編に発展し、三部作を形成することとなった。偕成社版では挿絵画家が内田善三男から斎藤博之に交代している。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代