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 本書は、上野瞭(1928〜2002)の「ちょんまげ物」と呼ばれる過去の時代に舞台をおいた作品群の最初のもので、『目こぼし歌こぼし』(1974)、『日本宝島』(1976)と共に長編書き下ろし作品である。
 勇ましい侍を夢見させ、戦争の役に立つ「ユメの実」を特産物とする「やさしい藩」では、子どもがに6歳になって「やさしいむすこ」「やさしいむすめ」に選ばれると足の筋を切られる。選ばれなかった子どもたちは、殺されてお花畑に埋められる。やさしいお殿さまとおつかいの玄蕃様が「ユメの実」の収益で支配するこの国の人々は、藩を取り巻く山には人を食う山姥がいると信じ、自分たちを守られていて幸せだと思っている。
 神宮輝夫との対談の中で上野瞭は「『ちょんまげ手まり歌』を書いたときには、もろに自分のなかの心象風景を書きたかった。」と述べ、「国家でもいいし、体制でもいい。個人を閉じ込めるさまざまな機構に追いつめられる人間の気持ちを、どうしたら表現できるかということが、あのときのぼくの最大の関心やった。」(『現代児童文学作家対談7』1992)と語っている。神宮輝夫は、そこで『目こぼし歌こぼし』の登場を「非常に目新しかった。子どもの本の常識を、ある意味で完全に壊した」(同前)と述べているが、この指摘は「ちょんまげ手まり歌」にも通じると考えられる。「時代小説」との批評に対して上野瞭は、「愛蔵版のためのあとがき」で、「これは<昔の話>ではなく<現代の物語>なのである。ただ誰も、こういう形で<現代>を書こうとしなかっただけだと、私は考えている。」(1980)と述べている。また、「ずっと前(六年ぐらい前かな)、『ちょんまげ手まり歌』(理論社)を書いたけど、そして<暗い話>だとか<むつかしい>だとか文句いわれたけど、ソウカナア、アノ作り話ノオモシロサ、マダ解ッテモラエヘンノカ…」(『親子読書』1975.4)とも述べている。フォア文庫(1981)の「解説」で新村徹は、出版当初、こわい物語であるためか「これが児童文学かどうか、疑問視されて、ある子ども文庫の本棚から追放されさえした」と伝えた後、「児童文学の無限に開かれた可能性の一つを開いた作品」と高く評価している。
 本書は1980年3月「名作の愛蔵版」として改版、7刷(1986.12)まで刊行された。

[解題・書誌作成担当] 松山雅子