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 日本教職員組合の機関紙『教育新聞』に連載された短編から28編を選んでまとめた童話集で、民話風創作の代表作である。ただし「八郎」のみ初出は『秋北中学生新聞』1950年4月号、のち『人民文学』1959年4月号に転載、さらに表記等わずかな改稿を経て『教育新聞』に掲載された。プロローグとエピローグに1編ずつを配し、残りの26編を、「大きな大きな話」「小さな小さな話」「空に書いた童話」の三部に分類している。初出の発表媒体や「父母におくる童話集」という副題、「はじめに」の斎藤隆介(1917〜1985)のことばから考えて、教員や一般のおとなを読者に想定していたと考えられる。1968年に第17回小学館文学賞を受賞した。
 「べロ出しチョンマ」は「大きな大きな話」の中の一つ。父親が年貢軽減を幕府に願い出た罰として、一家全員が磔になる。12歳の長松は3歳のウメを怖がらせまいとして、自分の眉を八の字に下げ、舌を出して笑わせようとし、そのまま、槍で突かれて死ぬ。八郎潟の巨人伝説に材を取った「八郎」も「大きな大きな話」の一つで、大男の八郎が海に身を投げて、大波から田を守るという筋である。「八郎」は本童話集刊行と同年に、大型絵本としても出版された。絵は、童話集で挿絵を担当した滝平二郎である。方言とオノマトペを駆使した豊かな語り、単純で骨太な筋と主題、力強く、しかも俯瞰やアップなど構図を自在にとった独特の切り絵など、その魅力は人気を集めた。「花咲き山」「三コ」も同様のコンビで絵本化(共に1969年)、民話絵本ブーム、斎藤隆介ブームを生む。
 「モチモチの木」は「小さな小さな話」の中の一つ。夜中に一人で便所にも行けない豆太だったが、腰痛をおこした爺さまの為に、怖さをこらえて医者を呼びに走る。その勇気と優しさに応えるように、家の前の大きな木に不思議な灯がともる。これも滝平の絵で絵本化された(1971)。この他「ひばりの矢」(1985)「ソメコとオニ」(1987、絵本にっぽん賞受賞)が滝平の絵で絵本になった。「天の笛」は藤城清治の絵で絵本化(1978)。また、「天の笛」が1971年度の小学校4年、6年国語教科書に掲載されたのを皮切りに、今日まで「緑の馬」「ソメコとオニ」「八郎」「ベロ出しチョンマ」「花咲き山」「モチモチの木」が教科書に載ってきた経緯がある。とくに「モチモチの木」は1977年度から2004年度まで途切れることなく、複数の教科書会社が3年生用教材として採用を続けている。16oフィルムのアニメーション(1973、絵は滝平ではない)、ビデオ(1990、2002)、CD(1995)、紙芝居(2001、絵は滝平ではない)もある。
 なお本童話集は角川文庫に収録された(1976)他、福武文庫の「児童文学名作全集5」(1987)に「八郎」が、同文庫『現代童話1』(1991)に「モチモチの木」が収録された。献身、自己犠牲といった表現で言い表されることが多い本童話集のテーマについては、発表当初から賛否両論が起こり、むしろ「寒い母」や「トキ」の方に、斎藤の良質な部分を見ようとする考え方も出た。いずれにしろ、戦後の児童文学、絵本史上に無視できない功績を残した。

[解題・書誌作成担当] 相川美恵子