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 児童文学作家としての出発となった、赤木由子(1927〜1988)最初の単行本。著者は小学校1年から敗戦まで、満州(中国東北部)で写真館を経営していた兄夫婦のもとで生活した経験があり、日本軍による中国侵略の様子を目の当たりにしたという。戦後は日本へ引き揚げ、文章の勉強をするため新聞や雑誌の記者として活動しながら、本書を書き上げた。自伝的要素を含んだ長編戦争児童文学である。
 物語の舞台は、戦前日本の植民地支配下にあった満州。両親を亡くしたヨリ子は、親戚のおばさんに連れられ満州に暮らす兄夫婦の元へと向かう。兄夫婦の家は立派な写真館。そこでヨリ子は優しく寛容な兄夫婦に見守られながら、奔放に毎日を送る。しかし、その生活も姉の病、戦争の進行によって、次第に影がさしてくる。また戦時下の満州であるための中国人と日本人との立場の違い、境遇の違いなどに直面するが、苦しむ周囲の人々を励まし、行動し続ける。また、ヨリ子自身も近所に暮らす中国人少女、学校の友人や教師、抗日運動を展開する中国人らと、様々な人間関係を形成しながら力強く成長していく。
 本書は、のちに『二つの国の物語』(全3巻、理論社)の第一部(1980.12.25刊、1995年2月で22刷)となった。その際、初版にはあった「まえがき」が削除され、装幀・挿絵が赤羽末吉から鈴木たくまに変わった。目次も「ロバのばか笑い」が「ロバのばかわらい」にされるなど、若干の変更がみられる。また、本文では、例えば「姉がヨリ子をつれて」(p.9)が「愛子がヨリ子の手をひいて」(p.10)となるなど、語句や文章に多少手が加えられている。なかでもロンニの年齢の設定が元々は8歳であったのが、『二つの国の物語』では6歳になっていることと、ヨリ子が通う学校の校長先生のあだ名が、「カマキリ」から「東条英機」へと変えられているのが注目される。さらに注目すべき点は、「まぼろしの町」の章において兄が撮った戦場の写真の現像を手伝いながら、ヨリ子がそこに写された惨状を見る場面で、人々の身の上に起こった事件の描写に加筆がなされており、生々しい悲惨さがより強調されている。
 赤木は、戦時下の中国で日本が犯した罪を直視しようとする姿勢と、それを人々に伝えようとする使命感とをもち続けた作家であった。そして過酷な状況下においても明るさを忘れず、たくましく生き抜く人々を、自らの体験と歴史的事実をベースに、主人公の少女の成長を通して描きあげた。執筆された時期からみても、旧植民地に関する児童文学の先駆的位置を占める作品である。

[解題・書誌作成担当] 畠山兆子