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 今西祐行(1923〜2004)の初めての長編歴史小説。戦後日本児童文学のなかで歴史小説の新たな系譜を開拓した作品として知られる。表題からも明らかなように地方史に取材したこと、架橋工事という具体的なモチーフを通じて民衆の哀歓を描き出したことなど、本作の登場は、中央の英雄や偉人の業績を語ることに偏りがちであった従来の歴史児童文学に大きな見直しを迫り、ジャンルの可能性を広げることになった。
 石工頭の岩永三五郎は、薩摩での架橋工事を終えた帰路、徳之島の仁と名乗る刺客に後を追われる。三五郎たちが建造したアーチ型の橋には構造上の秘密があり、漏洩を恐れた薩摩藩は口封じのために石工を暗殺するよう命じたのだった。三五郎の人柄に触れた仁は彼を斬ることができない。身代わりに乞食が殺され、三五郎はその遺児である姉弟(里と吉)を肥後に連れ帰る。石工仲間たちはすでに全員が殺されており、帰郷後の三五郎は生き残った罪悪感で苦悶の日々を過ごす。三五郎を父親の仇と恨む里は、吉を連れて家出してしまう。5年後、三五郎は近隣の庄屋から依頼を受けて再び架橋工事に携わる。死んだ石工仲間の息子である宇助を頭として工事は順調に進む。しかし、藩は隠密を差し向けて現場を監視しており、いくつかの誤解が重なった末に三五郎は郡代屋敷の牢に入れられる。幽閉中の彼は人買いにさらわれた里と再会、吉も救出される。宇助の指揮下で長さ五百尺(約150m)の石橋は無事完成し、三五郎との間のわだかまりも解ける。その後も、三五郎は宇助や吉とともに「御舟のめがね橋」「通潤橋」など多くの橋の工事に取り組んだ。
 初出は坪田譲治主宰の『びわの実学校』2号〜7号だが、単行本化の時点で大幅に改稿が施された。その後も表現の一部や人名、年号などの歴史的事項が一部修正されて現在に至る。丹念な現地調査のたまものであろう。同時代評としては「今まで、こんなに真面目な児童向の小説を私は読んだことがありません」「作者は、作中の主人公岩永三五郎にまるで自分の人生問題を托して、それを解決させようとしている」(坪田譲治、1966年)、「岩永三五郎のたんなる<技術>ではなく、岩永三五郎の<人間>」が描かれている(永井明、1966年)などが見られる。第二次大戦中に海軍航空隊の一員として鹿児島で過ごした経験、大阪駅で盗難に遭い南方戦線行きを逃れたことなど、三五郎の心情や行動には作者自身の戦争体験が随所に重ねあわされている。辛い過去を背負いながら、それでもなお誠実に生き、次代に技術を伝えようとする三五郎の姿は、子どものみならず、戦後社会を生きる多くの大人たちの心をもとらえたに違いない。
 第6回日本児童文学者協会賞をはじめ、第4回NHK児童文学奨励賞、第4回国際アンデルセン賞国内賞、第12回青少年読書感想文全国コンクール課題図書にそれぞれ選ばれたほか、1975年には講談社より文庫化。1969年には前進座によって舞台化され、今西が自らテーマソングを作詞。1988年には劇団GMGが手話をまじえた舞台に脚色、上演している。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代