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 1950年代の東京・山谷を舞台に、少年の目で戦後日本の社会を見つめた少年小説。大衆文学の方法をとりいれて描かれた「ピカレスクロマン」でもある。
 物語は、195×年のクリスマス・イブからはじまる。この日、東京のあちこちで、まずしい家庭にクリスマス・ケーキとクリスマス・カードがとどけられる。美しいカードには、「東京サンタ」と署名されていた。一方、銀座で女たちと酒を飲む会社社長がスリに金をすられる。社長の背広の胸ポケットには、やはり、クリスマス・カードがはさまれていた。―「まずしい者を救えと、キリストはいっています。あなたは、ちょうどその反対のことをやっています。金五万七千円、ありがたくちょうだいしました。東京ルパン」「東京ルパン」と署名のあるカードを残すスリの事件は、その年の春から、すでに20件をかぞえていた。「東京ルパン」の件をマスコミに公表しようとした警視庁の小林捜査第一課長から話を聞いた、東都新聞記者の徳さんは、犯人が逃げ出すだろうと、公表に反対し、事件を1年あずけてくれるようにと頼む。こうして、徳さんの「東京ルパン」さがしがはじまるのだ。「東京ルパン」の足跡を追いかけて、徳さんは、大阪へも九州へも行く。やがて、徳さんは、「東京ルパン」が少年であることに気づく。「東京ルパン」は、下層の労働者たちが暮らす町、下谷に住む、みなしごの少年だった。少年は、この町の人々のまずしさを救おうと、スリになったのだった。ただし、金持ちからしかスラない。そして、「東京ルパン」は、同時に「東京サンタ」でもあったのである。徳さんは、少年に接近する。ふたりは、日本のまずしさをどうしたらよいのかと語り合い、そこには、友情ともいえる感情が生まれていく。
 砂田弘(1934〜)は、自身の子ども時代に愛読した、ルブランの『怪盗ルパン』や、江戸川乱歩の『怪人二十面相』の延長線上で、この作品を書いたと記している(砂田弘「わたしが描いた〈犯罪〉」1994)。スリの少年ルパン君は、「悪」でありながら見事に「正義」でもある。作品は、「正義」が「悪」のかたちをとらなければ意味をもちえない状況として、矛盾にみちた戦後日本の社会を描き出そうとしている。
 「悪」が同時に「正義」であるという人物像は、作者の『さらばハイウェイ』(1970)のタクシー運転手、竹内青年に引きつがれ、これらは、日本児童文学に稀な「ピカレスクロマン」(悪漢小説)の系譜を形成している。
 福田庄助の挿絵は、作品のもつ生活感を強調し、作品世界のリアリティーをささえる。

[解題・書誌作成担当] 宮川健郎