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 『赤毛のポチ』に続く山中恒(1931〜)の長編小説で、大人への批判精神に満ちた作品。世の中の権威や秩序の欺瞞を、子どもの視線をとおして、過激ともみえるほどに告発する点に、子どもの論理に立つ現代児童文学の原型をみることができる。
 主人公は、小学5年生の吉川カズオ。父親がたまたま競馬で大穴を当てたのがきっかけで、貧しかったカズオ一家に波乱が巻き起こる。父親は、酒びたりになり、母親は、守銭奴となる。カズオは、預金をめぐる誤解から母親に暴力を振るわれ、ふらっと家をでる。電車で知り合った老婆は、痴呆のせいかカズオを、知人の山田カズオだと言いはるのを幸い、同行することになる。そのうち、老婆が痴呆でもなんでもなく、嫁や息子へのあてつけにカズオを連れてきたことがわかる。騙されたと分かったカズオは、老婆に復讐を果たし、家に帰る。だが、戻ったアパートには誰もいない。夫婦喧嘩の果てに、母親が重傷を負って入院したと聞いて駆けつけるが、父親の所へいけといわれる。浮浪児となったカズオは、慈善家の出現を期待して、百貨店で睡眠薬を飲み、病院に担ぎ込まれる。そのニュースをみた夫婦が、戦争で行方不明となった子ども、高橋カズオではないかと面会する。息子ではないと分かったが、カズオを養子に迎えようとする。
 大人の建前の愚かしさや欺瞞に気づいていくカズオは、二度と大人に騙されまいと思ったという山中の戦時中の子ども時代からくる思いを如実に反映した人物であろう。実の両親をこれほど批判的に扱ったのは、従来にはほとんどなかったのではないか。と同時に、次々と起こる事件や主人公の意外な運命に、ストーリーテラーとしての山中の資質がうかがえる。
 1960年に、山中は、『とべたら本こ』『赤毛のポチ』『サムライの子』と矢継ぎ早に3冊を出版したが、理論社の小宮山量平が『赤毛のポチ』の出版を確約したとき、「枚数の関係で他にもう1編といわれて渡したのが『とべたら本こ』」だったという(『赤毛のポチ』愛蔵版)。同時代の評価としては、「多くの子どもたちの興味性に訴えるという意味で児童文学は、ここから再出発する」(高山毅、1961)という見方があった一方、子どものエネルギーを引出そうとした意欲的作品だが、「作品化し得たそのエネルギーの、底の浅さにも、眼を向けるべき」((「こだま」児童文学会・少年文学研究グループ、『日本児童文学』1961.2)との評言もも見られた。
 いつの時点で替わったかは不明だが、4刷では表紙が替えられている。1970年には、やや大きな判型の「Fantasy Book」シリーズとなり、1977年に「名作の愛蔵版」に収められた。筒井敬介の脚色でラジオドラマ化された。

[解題・書誌作成担当] 藤本芳則