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 宮口しづえ(1907〜1994)の書き下ろし長編児童文学。単行本としては短編集『ミノスケのスキー帽』(筑摩書房、1957)に続いて2冊目の出版にあたる。短編から長編へ、詩的童話から散文的児童文学へ、理念の上でも実作の上でも戦後児童文学が転換期を迎えつつあった当時にあって、本作は長編児童文学の先駆けとなった作品のひとつに数えられる。ただし、筋運びよりも細やかな描写を重視する作風、純真な子ども像、作品世界に流れる叙情性など、全体としてはむしろ大正期以来の童話伝統をよく継承した作品と言える。
 ゲンとイズミの兄妹は、木曽の山奥のセイカン寺の子どもである。病気で母親を失った2人は励ましあいながら明るく暮らしていたが、ゲンは隣村のクオン寺に預けられることになる。間もなく兄妹の父親にあたるセイカン寺の住職は後妻を迎え、イズミには新しい母さんができる。一方、ゲンは厳格なクオン寺のおばさんになじめず、意地を張ったり寂しさを募らせたりするが、床の間に飾られた不動明王さまが心の支えとなる。しかし、ハチの巣取りに失敗して怪我をしたことが引き金となり、友達といさかいを起こしたゲンは、ついにクオン寺を飛び出してしまう。この事件のあと、ゲンはセイカン寺に帰されるが、新しい母さんに素直に接することができない。そんなある日、夢にクオン寺の明王さまが現れる。明王さまに促されて、翌朝ゲンは初めて「かあさん」と呼ぶことができたのだった。
 腕白で一途なゲンと、純朴でけなげなイズミが、母親の死によって引き裂かれながらも互いを思いやる様子は、しみじみとした哀感をさそう。抑制された心理描写や、ふんだんに登場する歌や食べ物といったディテールも、作品を味わい深いものにしている。しかし何といっても本作の最大の特色は、方言をふんだんに用いた会話表現に代表される郷土性の豊かさにあるだろう。おりしも出版当時は高度経済成長の開始期にあたる。新しいものや便利なものを追求する風潮のなかで、人々は本作が描き出した木曽の街道端の暮らしに、失われていくものへの愛惜を託したのかも知れない。「生活の中から切りとってきた実感」「今日、うすれてしまっている人と人の結びつきというものの大切さを、子どもたちにしみじみ感じさせる、得がたい作品」(大蔵宏之・関英雄、1958)といった同時代評にもその一端を伺うことができる。1959年には本作に対して第2回未明文学奨励賞が贈られた。
 『ミノスケのスキー帽』に続いて、出版には坪田譲治の尽力があった。当初は坪田を介して新潮社に刊行を打診するも実現せず、数年の後、デビュー作に続いて筑摩書房からの出版に落ち着いたという。この間に何度も推敲を重ねている。続編にあたる『山の終バス』(1960)や『ゲンとイズミ』(1964)も同社から刊行された。装幀と挿絵を担当した朝倉摂は、執筆に際して馬籠を取材旅行している。本作はラジオ化やテレビ化など、さまざまなメディアを通して普及したが、1961年には東宝で映画化(稲垣浩監督)され、三船敏郎扮する不動明王の特撮監督に円谷英二、ポスターの挿絵には先述の朝倉摂が起用されている。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代