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 戦後に生み出されたSFマンガのなかで、もっともよく知られたマンガ作品。手塚治虫(1928〜1989)の代表作でもある。かわいらしいコスチュームの少年型ロボットの活躍を描いたマンガで、ヒューマニズムあふれる作風と悲劇的な物語構成に特色をもつ。
 まずアトムというキャラクターは、「鉄腕アトム」に先立ち「アトム大使」という作品に姿を現す。この作品は、雑誌『少年』に1951年4月号より翌年の3月号まで続いたもの。ここではアトムのキャラクターは、人間的な特質をもたなかった。また、人気も出なかった。しかし、編集部の勧めにより手塚は、人間と同じような感情をもつキャラクターに作り替え、また家族のある設定に直し、あらたに「鉄腕アトム」の連載を1952年4月より始めた。これがしだいに人気を集め、戦後の代表的なマンガとなっていく。
 アトムは科学省の長官天馬博士が造りあげた少年型ロボットである。その出自には悲劇がついてまわる。天馬博士の息子が交通事故で死亡。アトムはその身代わりにすぎなかった。成長しないがゆえに捨てられたアトムは、お茶の水博士の手でもとの科学省に引き取られる。その後、アトムは正義の味方として、人間の役にたつために、さまざまな悪人やロボットと戦いを繰り広げる。
 アトムは一見かわいらしい。つねに悪人たちに立ち向かう。また、バラ色の未来世界をイメージさせる。だから未来を舞台とした単純な勧善懲悪の物語のように見えるが、実際のところはちがう。人間とロボットが心を通わせあえない、ロボットがつねに人間の奴隷として迫害される、いわば人種差別をテーマとしたマンガなのである。
 作品の成立には、作者手塚の個人的体験が反映している。作者の述べるところでは、戦後すぐ進駐軍からわけもなく暴行を受けたという。同じ人間であっても、言葉がちがう、民族が異なるというだけで悲劇が生じる。そうした「意志の疎通の欠如による悲劇」(『ぼくはマンガ家』)が、創作の動機にあるという。それゆえ物語のなかには、迫害されるロボットたちの姿がくりかえし描かれる。創造主である人間の横暴によって犠牲にされ、最後死に絶えるロボットたち。アトムは、そうしたロボットたちと人間のあいだで板挟みになり、悩み苦しむキャラクターに設定されていた。
 『少年』でのシリーズは、掲載誌の休刊とともに途絶。のち『サンケイ新聞』に続編が掲載されたりした。単行本は光文社版全3巻(1956〜1957)以降、幾度も刊行されている。1975年から刊行の朝日ソノラマ版(全21巻)が雑誌連載にもっとも近い形で構成、1977年からの『手塚治虫漫画全集』(講談社)もそれを受けついだ。1963年からは虫プロダクションでテレビアニメ化されたのをはじめ、以後計3度アニメ化された。現在はハリウッドで映画化の企画が進行している。

[解題・書誌作成担当] 竹内長武