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 著者・国分一太郎(1911〜1985)が、新潮社の求めに応じて書いた長編少年小説。
 雑誌『銀河』の編集に携わった石川光男は、同誌の廃刊後、日本には長編少年小説が存在しないことを残念に思い、幾人かの作家に長編を書くことを強く勧めたという。その企画に国分も声をかけられ、約2年後に同企画の第1巻として公刊されたのが本書『鉄の町の少年』である。当初、国分の頭にあった題は「ぼくらは探偵をしたかったのです」だったという。すでに書きたいテーマが醸成されていたようである。しかし、書き上げられた作品を読んだ編集者・石川が考えた題名は「鉄の町の少年」だった。自らが折れた格好になり、出版社側の意向を容れ現在の書名となったと国分は回想している(『国分一太郎児童文学全集(2)』1967)。
 物語は、敗戦・民主化に伴う労働組合の結成を背景に、1944年に東北・山形から上京し、住み込みで働いていた6人の見習少年工たちの団結と友情、裏切りを描いたもの。少年工たちが、当初は戸惑いつつも労働組合活動を受け入れ、社会性に次第に覚醒していく様子と、団結することが求められた労働組合活動のさなかに起きたある事件で、同じ少年工から裏切りにあい苦悶する少年の様子が、意欲的な筆致によってきびきびと描かれている。
 本作を書いた動機として、国分は「日本の少年少女たちが、この『鉄の町の少年』という小説のなかで、なんとかして、これらの考え方(注:太平洋戦争後に作られた日本国憲法や労働基準法、労働組合法など)を自分の身につけるようになってほしいものだと考えながらこの小説を書きました。民主主義の国の少年少女として、また、これからさき、自分もおとなの勤労者、労働者となるものとして、このことだけは、ぜひわかってもらいたいものだと思ったからです」と述べている(同上)。教育者であったこと、また戦中・戦後を通して少年工とも作品同様の暮らしをし、自ら組合活動に励んだ体験が本作に生かされているといえよう。
 なお本作は、1955年度の児童文学賞(児童文学者協会)を受賞したが、その際の選評には「リアリズム作品として、人間描写、形象化の不足、全体としての余韻の乏しさなどの憾みはあるが、テーマの意欲性、ストオリイ構成の苦心、少年読者への啓蒙的意義の大きさなど特に評価」(『日本児童文学』1956.1)とあり、公刊当時よりその評価が分かれていた。同人誌『馬車』4号(1955.3)では片山寿昭が「機関車がひとり走ることについて」で、また『日本児童文学』(1955.8)では鴨原一穂・片山昌造が片山の論を承けて「『鉄の町の少年』と『風ぐるま』について」で本作を論じているが、両者とも現実的に少年がいかに生きるかというテーマが明確に打ち出されていることを評価しつつ、「友情の裏切り行為が、階級闘争という名目によって正当化されている」(片山)ことへの違和感を指摘している。

[解題・書誌作成担当] 大藤幹夫