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 敗戦直後の日本の長編児童文学を代表する作品に数えられる。『ビルマの竪琴』と共に戦争児童文学の最も初期の作品でもある。キリスト教雑誌『ニューエイジ』(1952.2〜11)に10回連載されたものが、完結後の翌月に単行本出版された。すなわち、初出誌からもうかがえるように児童文学としてものではなかったが、壺井栄(1899〜1967)の前作『母のない子と子のない母と』『坂道』の文部大臣賞受賞により、一躍注目を浴び、出版されるや毎月増刷りするというヒット作となった。初出誌と本書の異同は、最初「連載小説」としてのものであったため、単行本化されたとき、文章表現もかなりほぐした言い回しとなり、また「彼女」「彼」など人称代名詞を削除し、内容面でも戦争反対、平和への祈りが織り込められた長編ドラマとなっている。また、挿絵が同じ森田元子であるが、すべて『ニューエイジ』誌とは異なる挿絵を描き、本書においては子どもの表情がアップとなる絵が多くなった。
 物語の舞台は、作者の生まれ故郷であるオリーヴで知られる四国の小豆島。かねてから「私の両親に育てられた十二人の子供のことを、子供の側から童話として書いてみたい」(「瞳疲れ」)という構想を持っていたが、社会情勢の悪化により無理となり、数年経たのち「一つの家に育った十二人の子供の話ではなく、一つの小さな村に生れ育った十二人の同い年の子供の話」(前出)となったわけである。新任の大石先生と彼女の担任した子どもたちとの田舎の分教場での関わりを通して、人間愛が見事に描かれている。貧しい中でも、どう生きていくのか、真の教育とは何か、そういったものを、軽快な筆致で描く。入学当初の希望に満ちた純真な12人の子どもの瞳、戦争によって奪われたいくつもの悲しみも読者の感涙を誘う。二百十日の自然災害の怖さの文章描写もみごとで、また田舎の海岸風景と共に、「あわて床屋」をはじめとし9曲の歌曲が挿入された物語は映像にしたくなる要素を十分に持っていた。
 新聞評も「ふかい感動をうけた(中略)りっぱな作品」(高山毅『四国新聞』1953.1.23)、「母性の文学といっていい(中略)心がほのぼのする作品」(古谷綱武『家庭朝日』1953.2.8)、「格調の高い野心作で、堂々たる量感をそなえている」(天地人『朝日新聞』1953.2.24)と好評が連なった。
 一度目の1954年の映画化はヒトミ・ブームを巻き起こし、さらなる読者層を広げ、本書も光文社カッパ・ブックスの小型サイズにカバーリングされ、大ベストセラーとなった。1957年には、新潮文庫の1冊に加えられ、また研究社より英訳本も出された。1985年には生原稿復刻版箱入り『二十四の瞳』(壷井栄顕彰会)まで登場。テレビドラマも経て、1987年にはリメイクされた映画が登場。作品舞台となった小豆島では、2004年には、最初の映画化を記念して50周年ということもあり、ロケセットが再現され保存、「『二十四の瞳』映画村」ができ、様々なイベントが展開された。

[解題・書誌作成担当] 森井弘子