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 戦後1946年から48年にかけて、『銀河』『赤とんぼ』『子どもの広場』『少年少女』などの雑誌が創刊され、これらの誌上で詩人たちの活動が活発になる。46年には、戦前から少年詩・少女詩を書いてきた八十が『西條八十少年詩集』(講談社)を出版。48年には、新しい感覚をもった詩集『青い黒板』(丸山薫、ニューフレンド社)、『未来』(大木実、さ・え・ら書房)が出版された。こういった状況が刺激になって、49年にサトウ・ハチロー(1903〜1973)は、この詩集を出す。丸山薫や大木実が子どもの未来を志向した自由律の詩であったのに対し、ハチローは、日本の自然、風土と子どもの生活を物語性をもった定型詩で描いた。
 タイトルを見ただけでも「春近づく」「五月の歌」「秋の夜」「雪降る日に」と、季節を題材にした作品が多い。「やっぱり春は」は、「橋のたもとのねこやなぎ/若い新芽にかげろうが/ちろちろゆれます光ります/−やっぱり春はきたのです」と、瑞々しい感覚で春の訪れを喜ぶ。また兄である「僕」が弟のことを季節の中で語る作品もある。「雲雀の子」は、いちご畑で捕えられた雲雀の子を「『逃がしておやり』と 弟に/言うて眺めた 雲雀の子/おさえた指の すきまから/その目に五月の 青空が/小さく小さく うつッてた」と、小さな生命に共感する。「燕の標札」は、燕の巣にも郵便が配達されるようにと「たどたどしきは 弟の字」で標札がかけられ、ほほえましさと温もりを感じさせる。「お馬ときりぎりす」は、「お馬のせなかに きりぎりす/ピョコンととまって 山越えた/うつらうつらの 日は真昼/小川がねむたく うたってた」から始まって、きりぎりすが売られる馬と夜更けに逃げ出すという第5連まで展開するユーモラスな物語詩。オノマトペ「ピョコンと」の反復がおかしみの効果を生む。
 全64篇中の41篇は1935年刊行の『僕等の詩集』(講談社)からの再録で、他の23篇の多くは戦後の数年間に発表された詩である。いずれもほとんどは『少年倶楽部』に発表。戦前の作品が戦後にも通用している点に、ハチローの世界の普遍性がある。戦後の作品には、「新学期」「卒業近い日に」「友だちの歌」など、学校生活を題材にしたものが目立つ。山本泉のペン画タッチの素朴なさし絵が、当時の子どもたちの生活風景を写実的に描き出している。
 ハチローは、16歳の時、父佐藤紅緑の門弟であった福士幸治郎の紹介で、西条八十に師事している。が、方言詩を提唱し、詩にむける音数律を研究した幸治郎の影響は八十以上に大きい。この詩集の中にも、方言で会話する詩があり、独特の味わいをかもしている。また七・五調や七・七調の伝統的な音数律は、「声に出して読みたくなる」調子の良さを生み、詩に音楽性をもたらしている点に、特質がある。
 本書出版2年後に講談社から本書収録作品を一部収録した『少年詩集』が出た。

[解題・書誌作成担当] 谷悦子