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 本作は、「三太月世界」「三太カツパ退治」「三太人玉もんどう」「三太花荻先生の野球」「三太ウナギ騒動」の5編からなる連作短編集である。
 もとは藤田圭雄主宰の雑誌『赤とんぼ』に連載されたもの。出版当時より読者の高い評価を受け、1950年1月には筒井敬介の脚色によってラジオ放送(NHK)された。三太を中心にユーモアあふれる筆致で描かれた子どもたちは瞬く間に茶の間の人気者となり、敗戦後の荒廃した世相に明るくさわやかな笑いをもたらしたといわれる。その後も劇化や映画など多様なメディアで取り上げられ、当時の代表的な児童文学作品となった。
 物語は、敗戦直後の相模湖に近いある山あいの村を舞台に、三太をはじめとする村の子どもと彼らを取り巻く大人たちの日常を描いた短編物語である。著者である青木茂(1897〜1982)は、三太を「じぶんの空想のいとし子」(本書前書き)と書いたが、三太をはじめ、村の子どもたちを見る著者の目は限りなく優しく、あたたかい。豊かな自然のなか、溌剌とした日々を送る子どもたちを、大人たちはきわめてあたたかく見守るが、これらはいうまでもなく、著者である青木から子どもに向けられた視線に他ならない。
 なお、山室静は「三つの長編童話」(『日本児童文学』1952.4)で本作の続編とも言える『三太物語』を取り上げ、「放送劇でも好評だつたようだが、作品としても一番面白い」としたうえで、その根拠として「キビキビした男性的な文体は快い筈だし、次第に描き出されて行く三太少年の生活も、いかにもピチピチとして道志川の若鮎のように健康で溌剌としている。(中略)ふしぎなユーモアを発散させている」と述べた。一方、牧野弘之は「三つの創作童話について(長編の問題)」(『文学教育』1952.7)で『三太物語』についてふれた。作品には「日本の児童文学には珍しいユーモアと明るさがある」が、「その面白さは、大人でないとわからない諷刺のおかしさが多」く、子どもの生活は生き生きとつかまれてはいるが、それは「日本の山村の子供たちが、現実に生きている、植民地的な日本の教育制度の中で、この国の作者たちが、このんで取上げる分教場の生活」であり、「不合理な社会制度や、教育制度に対する日本の子供たちの反抗が、極めて、温室的にえがかれている。日本の農山村をおさえつけている封建的なもの、子供たちの明日の生活に対する暗い不安、そんなものは、きれいに、忘れさられている」「日本の作家たちの、思想の安易さに、おどろいたのは、ぼく一人だろうか」と問題提起をした。青木の子ども観や教育・社会観を問う指摘といえよう。
 その後、『三太武勇伝』は『(小説)三太物語』(光文社、1951)『三太の日記』(鶴書房、1955)『三太の夏休み』(1970)『三太の湖水キャンプ』(1972、以上学習研究社)等と書き継がれてシリーズ化、ロングセラーとなり今日にまで読み継がれている。

[解題・書誌作成担当] 大藤幹夫