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 著者・北畠八穂(1903〜1982)は1946年、自ら「はじめて書いた童話」(『北畠八穂児童文学全集(1)』)と述べる作品「十二歳の半年」を雑誌『銀河』(10月号)に請われて執筆した。戦禍の中の子どもを描き、両親や妹を亡くしたつらさで、「なにもかもしゃくにさわり、いっさいをはじきかえす反抗児になりながら、すきまからのぞく本性のすなおさで、しだいに、ぐるりの親切を感じとり、たぐりよせ、生きなおる樹郎のけなげさを、樹郎らしくふるまわせた」かったと著者はいう。(同あとがき)戦禍に追われてもなお子どもの中に息づく感性の瑞々しさや、深い悲しみをも生きる力にかえる大いなる可能性を子どもに見た。そしてそれを描く創作姿勢を終始一貫とり続けた。この作品により童話を書くことの魅力を感じ、また翌年『銀河』に今度は連載をと請われたのを機に執筆したのが本作「ジローブーチン日記」である。同誌1947年1月から12月まで連載され、さらに翌48年には新潮社から単行本化された。読者に好評をもって迎えられた所以であろう。
 物語は、南方からたった二人で引き揚げてきた兄妹が、東北のはずれにある村にたどり着き、別れ別れになった両親や兄への思いを募らせながらも、まわりのあたたかい大人によって勇気づけられ、日々を健気に力強く生きる姿を描いた長編小説である。
 作品の背後に流れるキリスト教的な倫理観は、著者・八穂の幼年体験が大きく影響していると言われる。父方の祖母を通してキリスト教にふれ、生きる道を教えられたというエピソードは有名だが、著者にとって経済的・文化的にも豊かで恵まれた幼少期であったことが、北畠作品の源泉となっていることは疑いようのないところである。
 なお、本作は新潮社版以降、講談社・学習研究社・角川書店・偕成社から出版されたが、いずれも現在は絶版となっている。

[解題・書誌作成担当] 大藤幹夫