表紙 本文 挿絵

(画像をクリックすると大きな画像をご覧いただけます)
 太平洋戦争敗戦前後のビルマ(現ミャンマー)を舞台にした物語。音楽(芸術)と宗教の役割、近代文明批判、東西文明のあり方などが竹山道雄(1903〜1984)の強い信念と熱いメッセージで語られていて、戦争児童文学だけでなく、日本の戦後をたどる上で重要な作品である。
 敗戦まぎわのビルマ(現・ミャンマー)に、音楽学校出身の隊長が率いる日本軍部隊がいた。その隊では、水島上等兵の竪琴を伴奏にして、隊長の指揮で合唱を楽しんでいた。敗走を重ね全滅を覚悟したとき、敵陣から「埴生の宿」の合唱が聞こえ、日本兵もそれに和して合唱。そこで敗戦を知る。
 降伏しないでたてこもる兵隊を説得するために、一人で出かけた水島が行方知れずになる。捕虜生活を送る隊員は、インコを肩にする一人のビルマ僧と出会い、水島ではないかと思うがわからない。寺院で少年の弾く竪琴が水島の音色に似ていて、水島は生きている思いが強くなる。また僧に化けた脱走兵に出会って、こうした旧日本兵が多くいると教えられて、水島生存の期待はさらに強くなる。やがて帰国が決まり、もうこの地で歌うのも最後と合唱を繰り返していると、インコを両肩にのせた僧が現れ、竪琴で伴奏を奏で、終わりに「仰げば尊し」を弾いて姿を消す。帰国の途につく隊長に渡された水島からの手紙こには、この地に横たわる日本兵の遺体を見捨てて帰国できない水島の思いが綴られている。
 水島上等兵が属する部隊の危機、それにも増してビルマ僧の正体は水島かの思いをめぐらすサスペンス仕立ての筋。僧衣の黄色・ビルマ僧の肩に止まるインコの青・ルビーの赤・累々と横たわる白骨などの色彩。熱帯林に響く竪琴の音色。これらを背景にして戦争や敗戦をどう受け止めようとしたかを大人の視点で語っているが、そこには大人・子どもの垣根を越えた人間性に訴える姿勢があり、また思想の深さがこの作品の特色となっている。
 初出は児童雑誌『赤とんぼ』。同誌の編集にあたった藤田圭雄に「児童向きの読物を」とすすめられて執筆。音楽ずきの隊長の話、ビルマに残された日本兵の白骨死体記事などがヒントになって話が組み立てられ、「義務を守って命を落とした人たちへのせめてもの鎮魂」を願って書いたと著者は記す(新潮文庫)。『赤とんぼ』に寄せた第一話は占領軍による検閲が通らなかったが、藤田の奔走で1947年3月号に掲載された。しかし第二話以後は作品全体の検閲が必要と言われ、全体を書いてようやく許可が下り、同年7月号から翌年2月号に連載された。その後、加筆されて本書になった。戦後の出版事情を反映して劣悪な紙質の並製本であるが、猪熊弦一郎による多色刷り水彩表紙絵は美しい。なお初出雑誌でも猪熊の絵が使われ、それが本書でも使われた。
 「児童文学の質と地位を高めた異色ある作品である。国境を越えた人類愛をうたいビルマの風俗なども面白く描かれている」として毎日出版文化賞(1948)を受賞し、芸術選奨文部大臣賞(1951)も受賞した。「終戦後読み得た文学作品のうち、これを童話文学の中の最も傑れたもの」(吉田精一、1948)といった好評の一方で、戦後文学の代表作ではあるが「その根本思想にひそんでいる人間蔑視と、一種の頽廃思想」がある(竹内好、1954)といった評価もあった。さらには1968年原子力空母エンタープライズの佐世保港寄稿に、竹山が賛意を示したことに対し疑問の声が『朝日新聞』に寄せられ、竹山の思想や「ビルマの竪琴」をめぐる論争へと発展にした。
 市川昆監督によって1955年と1985年に映画化された。また1959年に新潮文庫の1冊として出版された。

[解題・書誌作成担当] 藤本芳則