田河水泡に師事し、「ヒィフゥみよちゃん」(四コマ漫画、『国民新聞』1939年連載)「仲良し手帖」(『少女倶楽部』1940年連載)などで人気を博した長谷川町子(1920〜1992)が、1946年4月22日より『夕刊フクニチ」に連載した「サザエさん」を姉の長谷川毬子と設立した姉妹社から出版した。第1巻は当初、B5判横長(18.5×25.6cm)だったが、大きすぎて書店に置きにくいため第2巻から半分のサイズのB6判縦長にし、以後、1949年6月の増刷時に第1巻もB6判に揃え、この判型がその後の底本となった(ただしB6判になったのは1949年6月以前の可能性は残る)。B5判第1巻はジャケットは無く、価格は25円、発行日は1947年1月1日、姉妹社の住所は東京都世田谷区新町3丁目515番地だったという。内容は同じだった。
 引揚げ援護週間・英会話ブーム・食糧配給・闇市・買い出し・洗い張り・父兄会・男女同権討論会など1946年の風俗・世相などが興味深く描かれている。登場人物の設定は、サザエが23歳の独身。カツオは7歳。ワカメは5歳。父(波平)は福岡の会社の局長で、自宅には電話・蓄音機・足踏みミシン・ラジオ・電気スタンドがあった。
 太平洋戦争末期から終戦直後にかけて四コマ漫画の連載は新聞から消えていたが、1946年には西日本の新聞が連載をはじめる。すなわち、1946年1月には手塚治虫「マアちゃんの日記帳」(『毎日小学生新聞』関西版)、3月には南部正太郎「ヤネウラ3ちゃん」(『大阪新聞』)、そして4月に「サザエさん」が登場する。
 「サザエさん」は『夕刊フクニチ』(1946年4月22日〜1947年11月5日)、『新夕刊』(1948年11月21日〜1949年4月2日)を経て『朝日新聞』(1949年12月1日〜1971年2月21日)に連載される。この作品は、1940年代、50年代では戦後混乱期・高度経済成長期を背景に風俗・世相漫画の色彩をおびているが、60年代・70年代では国民の大半が中流意識を持ち出す時代を背景に、人間性を風刺するギャグ漫画の性格を濃くしていく。
 「サザエさん」は、戦後急速に発展していくギャグ漫画の先覚的作品で、その後、赤塚不二夫、サトウサンペイ、山上たつひこ、植田まさし、いしいひさいちらがこのジャンルを発展させていく。
 姉妹社から『漫画サザエさん』(全68巻)が刊行され、1994年より姉妹社版をもとに朝日新聞社から文庫版の『サザエさん』(全45巻)が出た。1997年より刊行された『長谷川町子全集』(全33巻、別巻1巻)にも収録された。
 また、漫画の枠をこえて、1955年にラジオドラマとなり翌年からは江利チエミ主演などで何度か映画化され、1965年にはテレビドラマにもなった。テレビのアニメは、1969年以来35年以上にわたって放映されている。キャラクター商品も多い。

[解題・書誌作成担当] 清水勲