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 新美南吉(1913〜1943)の第3童話集。『牛をつないだ椿の木』(大和書店、1943)とともに、出版準備に着手しながら完成を見届けることかなわず、死後半年を経て刊行された。十代後半の『赤い鳥』投稿作と晩年の民話的創作を同時に収め、童話作家としての出発点と到達点を伝える作品集となっていて、本書中の「ごん狐」は小学校国語教科書にも約半世紀にわたって使われ、現在も読みつがれている稀な作品の一つである。
 『赤い鳥』掲載の童話には、多くの場合、主宰者の鈴木三重吉や編集記者による加筆修正が施された。一投稿家だった南吉にとって、加筆が創作指導の側面を持っていたことは想像に難くない。若干の異同はあるものの、本書には『赤い鳥』掲載作がほぼそのまま収録されており、加筆に対する南吉の態度をうかがい知ることができる。なお、全4編の掲載作のうち「張紅倫」(『赤い鳥』1931.11)を省いたのは南吉自身の意向のようだが、古井戸に落ちた少佐の物語であり、時局への配慮が働いたことも一因だろう。
 本書の出版は、与田凖一の力添えによって実現した。日記には「与田さんから葉書。赤い鳥に投書した四篇を入れて、百五六十枚の童話集を出してくれるさうだ」(1942.4.16)との記述が見られる。同じ日の日記には『おぢいさんのランプ』(有光社、1942)の原稿についても記されており、新人作家として世に出ようとしていた晩年の様子を確かめることができよう。与田は1941年から企画嘱託として帝国教育会出版部に勤め、少国民文芸選のシリーズに南吉のほか、平塚武二や森三郎など『赤い鳥』時代の知人を積極的に登用した。巻末の「『花のき村……』の著者を悼む」では南吉との出会いを振り返り、早世した友への思いを書き綴っている。初版は5000部刊行。出版までの経緯は『校定新美南吉全集(3)』(大日本図書、1980)に詳細な「解題」がある。なお、発行所はのちに国民図書刊行会と改称され、本書を「新日本少国民文庫」の1冊として再刊している(1946.1.20)。
 『おぢいさんのランプ』解題と重複するが、南吉作品は戦後長い間、テキスト上の不備が続いた。国語科の文学教材として広く知られる「ごん狐」も、その例に漏れない。初出・本書・戦後版の異同は、前述の『校定新美南吉全集(3)』で知ることができる。1974年にほるぷ出版から初版が復刻された。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代