表紙 本文 挿絵

(画像をクリックすると大きな画像をご覧いただけます)
 椋鳩十(1905〜1987)の最初の児童向き短編集。小説『山窩調』(1933)等で椋に注目していた『少年倶楽部』編集長・須藤憲三が、児童向き作品の執筆を勧めたことは広く知られる。本書はその『少年倶楽部』発表作と書き下ろし作品からなり、標題のとおり動物物語で統一されている。血湧き肉踊る少年小説で人気があった『少年倶楽部』には軍国主義的な作品も多数掲載されたが、本書に直接的な戦争色は見られない。椋自身は後に「処女作の思い出」(『日本児童文学』1973.8)のなかで「命へのいつくしみ」という言葉を用いているが、安易な死を退け、子どもや仲間と共に生き延びていく動物たちを描き出す姿勢から、生き物に託した、時局へのしたたかな抵抗を読み取ることができるだろう。犬や猫、猪、熊など多様な動物の生態を的確に捉えつつ、彼らの智恵や勇気、愛情を語り出す筆致は、暖かな中にも冷静さを失っていない。
 起伏に富んだ物語の面白さもまた、当時の児童文学のなかで傑出していたと言えよう。単行本化に際して、この特徴はより強化された。初出で常体を採用した「大造爺さんと雁」「栗野岳の主」「二人の兄弟と五位鷺」は改稿され、収録作全てが敬体で統一されている。作品の配列も「一冊の本そのものを(中略)一つの筋のあるものとしてまとめたい」(大藤幹夫「椋鳩十著 動物ども」『名著複刻日本児童文学館第2集』ほるぷ出版、1974)との狙いによって、発表順とは大きく異なっている。豊かな物語性や語り口の魅力はその後も色あせることなく、国語教科書の教材として長く親しまれてきた「大造爺さんと雁」をはじめ、収録作のいくつかは戦後も広く読み継がれている。
 装幀と挿絵を担当した安泰は、当時すでに『コドモノクニ』等の絵雑誌のほか、『幼年倶楽部』『少女倶楽部』など講談社の雑誌でも活躍し、とりわけ動物画の分野で高い評価を得ていた。椋作品では「片脚の母雀」(『少年倶楽部』1941.3、本書収録時のタイトルは「片足の母雀」)の挿絵を担当しており、初出誌でコンビを組んだことが本書での起用につながったと推測される。三光社の社主は、元『少年倶楽部』編集部員の松井利一であった。このほか出版をめぐる経緯は、前出の復刻版解説に詳しい。初版は6000部刊行。文部省推薦図書に選定されており、『少国民文化』(1943.10)にその紹介文が見られる。同時代評としては、吉田甲子太郎「『動物ども』について」(『少国民文化』1943.09)がある。吉田は、科学的態度や動物への愛情、巧みな物語構成や生き生きとした描写などの点で本書を高く評価し、「今の日本少国民にぜひ与へたい書物の一つ」と述べている。
 1974年ほるぷ出版より復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代