表紙とジャケット 本文 挿絵

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 『良寛物語 手毬と鉢の子』(学習社、1941)に続く新美南吉(1913〜1943)の第二単行本。南吉にとって初の童話集であり、結果として生前出版された唯一の童話集になった。収録作の中心は「久助君もの」と呼ばれる少年小説系列に属するもので、少年の繊細な感受性や心的葛藤を鋭く描き出している。心理への着眼や小説形式への接近は、前後してデビューした下畑卓らに共通する特徴でもあった。本書の特徴としては、ほかに郷土性と物語性を挙げることができるだろう。なかでも、出身地である愛知県知多地方の地名・方言を生かした文章は、観念的な心理描写に偏ることなく、登場人物の心情をリアルに伝えている。
 本書は、関英雄『北国の犬』や下畑卓『煉瓦の煙突』とともに、新人童話集の一冊として企画された。企画全体を担ったのが巽聖歌である。『赤い鳥』の投稿欄で先輩格だった巽は、南吉にとって師のような、兄のような存在であった。日記には「本の名は『久助君の話』ではいけないさうだ。ちやちだが『おぢいさんのランプ』といふことにした」(1942.4.16)、「巽から『サシヱ、ムネカタシコウイカガ』といふ電報が家へ来た」(1942.4.19)などの記述が見られ、題名や挿絵画家の決定に巽が大きく関与した様子がうかがえる。このほか、出版までの経緯は『校定新美南吉全集(2)』(大日本図書、1980)収録の「解題」に詳しい。現存原稿によれば、当初は函入り本を予定していたようだが、結果的には函なしの出版となった。下畑の『煉瓦の煙突』と同じく、用紙の調達が困難になったためであろう。奥付に発行部数を3500部と記す。1971年ほるぷ出版から復刻版が出た。
 主たるモチーフが少年の日常生活であることから、軍用機の演習、鐘の献納など、収録作には戦中期の社会状況がたびたび登場する。個々の作品は、戦後さまざまな装いで再刊され読み継がれていくが、その際、戦争に関わる部分を中心に巽聖歌がテキストを手直しし、改ざんされた作品が長い間流布した事実に注意したい。例えば「嘘」に登場する飛行機「愛国号」は、『久助君の話』(中央出版、1946)再録時に「くじら」に置き換えられている。「ごんごろ鐘」「うた時計」等にも異同が著しい。改稿の背景として、戦中戦後の出版状況や社会の混乱を指摘することができるが、南吉研究や作品評価に与えた影響は大きい。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代