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 平塚武二(1904〜1971)の第一童話集。平塚は、新美南吉や与田凖一と共に『赤い鳥』出身の書き手である。『童話』の投稿家であった関英雄らも含めて、大正期の童話童謡運動を読者として体験した人々が、この時期の新人作家の一角を占めていく。
 表題作は、千代という女性の幼年期から壮年期までを描いた一代記ものである。日露戦争から関東大震災、さらには太平洋戦争へと激変していく世の中のありさまを、庶民の暮らしや風俗を活写しつつ生き生きと物語る文章は、ともすれば内省的な心理描写に偏りがちであった当時のリアリズム童話のなかで異彩を放っている。また、上野瞭が指摘するように「一歩一歩経験を集積して自己の幸福を築こうと」する千代の人物像は、滅私奉公の精神が叫ばれた時代のなかで、時局へのしたたかな抵抗を秘めていた(上野瞭『戦後児童文学論』理論社、1967)。一方で、作品の結末部にあたる「大東亜戦争」開戦の場面には時局を直接反映した表現も見られ、戦後、この部分を中心に大幅な改稿が施されている。
 本書の出版には、1941年から帝国教育会出版部の企画嘱託となっていた与田凖一の尽力が大きい。叢書全体が与田の企画であったようだ。初版は5000部を刊行。現物を確認できた再版は、紙質や活字の種類などが初版と異なっており、悪化の一途をたどった戦時下の印刷事情を伺うことができる。
 同時代評としては、座談会「児童文学の文学性」(『昭和文学』1942.12)の、菅忠道や関英雄による「小説性」と「童話性」をめぐるやりとりが挙げられる。ここでは物語性や説話性といった平塚の作品の特徴を論じつつ、新人たちが目指すべき方向が議論されていた。さらに、波多野完治は「最近の新人童話作家」(『文学』1944.9)のなかで、教養小説的な「風と花びら」、寓話的な「南極の旗」、随筆的な「虫たち」など、本書の収録作がいずれも「子供といふものの生活をほとんどかいてゐない」「少くとも主題にとりあつかつてゐない」点に注目し、生活童話主流のなかで「非常に特異な童話集」と評価している。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代