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 太田博也(1917〜 )の第一童話集。行列をすることに執着する男を描いた表題作をはじめ、「なぜ自分は自分なのか」という疑問にとりつかれた挙句、自分を見失ってしまう「ドン氏の精」など、当時としては異色とも言うべき寓話性の高さに特色がある。聖書の一節をひいた宗教色の強い作品も多い。「行列」というモチーフを扱った表題作には、戦争諷刺の意図も垣間見える。また、架空の場所を舞台に展開するユーモアと皮肉に満ちた物語は、戦後のいわゆる「無国籍童話」に通じており、リアリズム隆盛のなか、戦後につながる新しい方向性が模索されていた様子もうかがえる。
 太田の童話観は、巻末に収録されている「あらゆる不愉快よ真理と童話の下に屈せよ」に詳しい。あと書きをこえて独立した童話論となっているこの一文において、太田は生活童話の「お互ひに自分の名前を附さなければ作品の区別がつかなくなつてしまふ」平板さを痛烈に批判し、「綴方が客観的に綴られてゐるに過ぎない作品に、私達は童話の名を与へてはならない」と述べている。そして「童話は文学や教育の垣のうちにあつて、しかも哲学や宗教の真理を含んだ寓話でなければならない」として、寓話であれば「子供は子供の範囲で」「大人は大人の範囲で」自由に解釈できるとする。「大人の童話」という角書やルビの少なさ、本文中に挿絵を用いていない点など、多分に大人の読者を意識した造本となっているが、太田自身は子ども読者をも充分に意識していた様子がうかがえる。
 先述の童話論「あらゆる不愉快よ…」によれば、出版には塚原健二郎の力添えがあった。太田はすでに、雑誌『日本の子供』(1939年創刊)の編集で文昭社とつながりを持っていた。同時代評としては、水藤春夫が「新人とその作品」(『新児童文化』第4冊、1942.05)のなかで、新美南吉とともに「ぜひ語らなければならない」新人としているが、残念ながら詳しい言及はない。

[解題・書誌作成担当] 酒井晶代