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 1950年頃までの日本児童文学を代表する作家の一人・坪田譲治(1890〜1982)は、童話と小説のはざまを描く作家として知られた。本書は彼の第一童話集である。彼は本書の表紙絵を描いた深沢省三の紹介で、「河童の話」を雑誌『赤い鳥』(1927.6)に掲載して以来、1936年終刊まで同誌に40編を発表、代表的童話の多くをそこで生んだ。ちなみに本書の扉には、「鈴木三重吉先生に捧ぐ」とある。
 本書刊行の1935年は、『改造』3月号に発表した小説「お化けの世界」の好評を得て、同年4月、旧作品とともに同題短編集の出版、7月に本書、10月に短編集『晩春懐郷』、11月に童話集『狐狩り』と、苦渋の多かった生活状況にあって、作家として一挙に注目を浴びた画期的な年でもあった。
 本書の巻末に据えられた表題作「魔法」は、魔法を使ってみせるとうそぶく兄の善太と、兄の魔法を信じ、果ては兄が学校から何に変身して帰ってくるか心ときめかせ待ちわびる弟の三平の織りなす遊びの情景を活写した。仕掛け仕掛けられる関係というよりは、無邪気な弟の反応に兄もまた魔法に遊ぶ、兄弟の交歓と共有された夢想が、無駄のない対話表現に息づく。
 譲治童話には、正太、善太、三平の兄弟とともに主要な人物として祖父がいる。「樹の下の宝」は、夢のなかに幼い自分の分身が登場し、日ごと遊んでみせるうちに、孫の正太と郷里の実家を訪ねるに至る「お爺さん」の心象風景を軸とした小品である。日当たりのいい縁側でお爺さんが煙草をくゆらせながら樫の樹を眺めるうちに居眠りをはじめる。その夢想の時空間と、お爺さんが実際郷里に見た紡績工場の落差を明示して、なお、自宅の樫の根元に祖父同様自分の宝を埋める正太を描いて終わる。世の無常を示唆した末文に、40代半ばに達した坪田の感慨がうかがえる。また、「お祖父さん」に聞いた大鯉に夢中になって鯉釣りの計画を練る善太の夢想とも現実ともつかない憧れの世界を描いた小品「鯉」においても、祖父は、子どもの空想の触媒として存在感がある。1971年ほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 松山雅子