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 著者が『少年倶楽部』に掲載した最初の少年向け探偵小説は、佐川春風の名で書いた「少年探偵富士夫の冒険」(1923.3〜4)である。このいわゆる池上富士夫シリーズは「幻影魔人」(1925.9〜26.9) まで合計8作続き、少年向け探偵小説のさきがけとなった。本書はその10年後、森下雨村(1890-1965)の名で同雑誌に新たに連載した5作をまとめた短編集。本書での少年探偵の名前は姓のみ異なる東郷富士夫である。先の池上富士夫が、白井秘密探偵局という一民間の探偵局に、学校を辞めて就職しているのに対して、東郷富士夫の方は、非常勤とはいえ警視庁という国家機関に勤務している。両者の設定の違いに、発表された時代の空気の違いが反映している。
東郷富士夫はアメリカ育ちの孤児で、英、仏、独語に堪能であったため、亡父の友人の紹介で警視庁特高外事課に出入りし、米、独スパイの摘発に貢献する。「暗号創作をやり、暗号で教師の悪口など書いた」(山中恒)ほどの影響を少年読者に与えた「謎の暗号」は、富士夫の語学力と暗号を解く能力、つまり知性が事件を解決するという趣向だが、2作目の「電気水雷事件」、3作目の「間諜?怪盗?」ではオートバイでの追跡、モーターボートと快速汽艇の追跡ごっこ、飛行機への搭乗など、冒険活劇の要素が取り込まれた。また4作目の「知恵の戦い」では、最後に敵国スパイ団の偵察機を日本海軍の戦闘機が撃墜する、軍事愛国物的な趣向も取り込んでいる。ところで4作目までは日本陸海軍の機密を暴こうとする米独のスパイとそれを阻止しようとする日本の警視庁と富士夫という枠組みが共通しているが、5作目「消えた怪盗」はこれに当たらない。自動車のタイヤについた泥や足跡、指紋の採取、聞き取り捜査など、いわゆる科学的捜査方法が持ち込まれている点も注目される。なお、講談社所蔵の33版の表紙は、塀を乗り越えようとする、詰襟学帽の主人公の姿を描いたものとなっている。
 1950年に偕成社から同名で出版されたが、舞台は占領下の東京に変わり主人公の少年探偵の名前も変えられている。暗号こそ出てくるが初版とは全く別の作品である。挿絵は伊藤幾久造だった。

[解題・書誌作成担当] 相川美恵子