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 1930年代、子どもに愛読された冒険小説の一つで、確認できた範囲では7年間で130版が出た。作者南洋一郎(1893〜1980)は、本名池田宜政(よしまさ)。池田宜政は、南洋一郎のほかにも、池田宣政(のぶまさ)というペンネームをもっていた。池田宣政が伝記物語の作者であったのに対し、南洋一郎は、冒険小説の書き手だった。
 南洋一郎は、「『吼える密林』の頃」(1962)という文章で、子ども時代の読書の思い出を書いている。10歳のころ、東京ではたらいていた兄が2冊の古本を送ってくれた。『魯敏遜漂流記』と若松賤子訳『小公子』上巻だった。どちらも愛読し、南は、「自然のなかに生きる冒険小説と、人の心の美しさをうたう物語や伝記の作者としての二人の人間を生む種子は、この二冊の古本のなかにあった。」と述べている。
 『吼える密林』は、アメリカの探検家、ジョセフ・ウィルトンの回想をもとに書かれた。物語は、「私」(ウィルトン)と友人のフランクが、アフリカの密林で人食い獅子に出会い、闘うエピソードから語りはじめられる。ふたりは、つづいて大蛇、豹、巨大な犀というふうに出会い、作品は、舞台をアフリカからボルネオ、マレー半島へと移しながら、猛獣とのたたかいのエピソードを繰り出しつづける。『吼える密林』の主人公たちを「たいした探検家にはちがいないのだけれども、しかし彼らに徹底的に欠けているのは、なぜ探検に出かけるのかというその動機であ」ると評したのは清水哲男である(「冒険と教訓」1976)。「少年諸君よ!」と題した前書で、作者は、「本書を読んで、諸君の熱血に燃える心は猛然と奮ひ立つだらう。/その勇猛心。それが尊いのだ、それが日本男子の心なのだ。/勇敢なる大日本の少年諸君よ! いかなる危険も突破し得る体力と智力を養ひたまへ。そして御国のため大君のため、万難に遇つても屈しない、強い精神力を養ひたまへ。」と書いているが、作品は、十五年戦争に突入したころの日本で、少年たちへのアジテーションとして機能したのである。そして、鈴木御水、椛島勝一の臨場感あふれる細密画が作品の雰囲気をもりあげた。1970年講談社より復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 宮川健郎