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 巽聖歌(1905〜73)の第一童謡集で、『赤い鳥』『乳樹』に発表した作品を中心に58編の作品が収められている。全体を「水田」から「街の市場」までの12章に分け、各章は3〜7編の童謡で構成されている。大部分が定型の童謡として書かれたものであるが、「家垣根のそば」の章には自由律の少年詩が5編あり、いずれも「童詩」という注記がつけられている。
 1925年、巽聖歌が『赤い鳥』に投稿した「水口」という作品が選者の北原白秋に認められ、同年10月号に掲載された。それは言葉をできる限り削り落とし、その最小限の言葉に余情・余韻を含ませた表現で、俳句の世界にきわめて近いものであった。この簡潔で格調の高い「短詩型の印象詩」(藤田圭雄『日本童謡史T』)は、白秋が激賞したこともあって、たちまちのうちに昭和初期の童謡界を席捲してしまった。『童謡詩人』『乳樹』など昭和初期の主な同人誌にも、この「短詩型の印象詩」が数多く発表されたのである。そのため、童謡は《歌われる詩》というよりは《読み味わう詩》として作られ、読まれるようになっていったが、こうした童謡の文芸化傾向をもっとも早くかつ具体的に示したのが、童謡集『雪と驢馬』所収の諸作品であったと言えよう。
 評論家の佐藤通雅はこの童謡集について、「童謡詩人としての出発を謳歌する最初の結晶だったが、史的にいえば、『赤い鳥』から巣立った新進詩人による貴重な成果だったということができる。」と述べている(『日本童謡のあゆみ』大空社、1997)。白秋の薫陶を受けた詩人たちの童謡集でもっとも早く出版されたのがこの『雪と驢馬』で、第二世代の童謡詩人たちを代表する作品集として意義深い。1997年に大空社から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 畑中圭一