表紙と函 本文 挿絵

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 本書は山中峯太郎(1885-1966)の少年小説としては最初の出版にあたる短編集。収録された9編のうち6編までが諜報活動を素材にしており、その原型は、著者が吾妻隼人の名で書いた第一作「真澄大尉」(1906)に認められる。掲載順に、最初の2編が日露戦争当時の体験者からの取材を元にしたもの、「砲台地下室…」以下3編が著者自身が参加した中国革命の事実に虚構を加えたものであることがわかっている。劇的効果やナショナリズムの高揚を狙ったものと考えられる。初出からの改題が4編。また単行本出版に際して挿絵画家は樺島勝一に統一された。
 「敵中横断三百里」は著者の代表作である。3月10日に陸軍記念日が設定されるきっかけになった奉天大会戦勝利に多大な貢献をした建川挺進斥候隊の話を依頼されたのが執筆のきっかけになった。極限状況下での死を賭した行動、英雄的な忠誠心、「元より心を同じくする主従五人、たゞ涙をすゝつて男泣きに泣いた」と詠嘆的に語られる隊長と部下との強い絆、緊迫した状況から一気に転じて、畳みかけるようなアクションの連続に移るリズム、悲憤慷慨調の語り口、樺島勝一描く挿絵との一体感などを特徴とする。1943年、黒沢明によって脚本化されたが、その際、原作では最後に生存が確認され、ロシアから帰還するはずの沼田一等兵が、戦死したままに変更された。1957年には大映東京から映画化された。1936年3月には『少年倶楽部』の付録として『壮烈物語画集敵中横断三百里』が出た。このときは樺島の他に梁川剛一が挿絵を担当している。「我が日東の剣侠児」は第一次大戦時に西欧で活躍した日本人スパイの物語。初出では匿名であったのが初版では最後に「本郷義昭」と名前が披露された。初版出版時にはすでに本郷を主役にした「亜細亜の曙」が連載中であったので、両者を関連させて、読者の拡大を図ったものと考えられる。
 本書は出版と同時に「十万部を突破」(尾崎秀樹)、『少年倶楽部』1935年9月号掲載の広告には191版とある。中村大尉事件など満州事変前後の大陸の緊張した状況と国内でのナショナリズムの伸長が背後にある。戦後の1957年に小山書店から梁川の挿絵で出版されたが、収録は「敵中横断三百里」のみで、しかも全文ほとんど書き直されている。復刻版が1970年に講談社から出た

[解題・書誌作成担当] 相川美恵子