函と表紙 本文 挿絵

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 慶応義塾大学予科の教授で英文学者であり、作家でもあった佐々木邦(1883-1964)が書いた初めての長編少年小説であり、また、日本の少年小説史上最初のユーモア小説と位置づけられる。初出は『少年倶楽部』。当時『少年倶楽部』では「神州天馬侠」「角兵衛獅子」等の大作の連載が始まっていたが、念願だったユーモア小説(著者の言葉では「諧謔小説」)を得て、ここに編集部としてはようやく納得のいく陣容を整えるにいたった。
 本書は華族である花岡家の三男の照彦と、昔、花岡家の家来だったよしみで照彦の学友を引き受けることになった内藤家の三男正三を中心に展開する学園ドラマである。挿絵を担当したのは、「滑稽和歌」欄の挿絵等で既に『少年倶楽部』の読者には人気が高かった河目悌二である。軽妙で洒落っ気のある線画に手書きの短いセリフを添えた挿絵は、会話を主体にした佐々木邦の淡白な文体と見事に合致して、一つの世界を作り上げている。
 正三の父親は高級官吏で長兄は東大を出て朝鮮総督府に勤務している。従って正三の家は中産階級に属する。華族の暮らしぶりをユーモラスに紹介しつつ、階級の違う二人の少年の間で起こる摩擦の行方を、少し離れて温かく描くが、さりげなく権威を相対化してみせてもいる。不良で通っている堀口が教師に向かって「ぼくは反対です」と自説を述べる教室風景や、やはり東大生である正三の次兄が父親と堂々と議論する食卓風景は新鮮である。改心して一日一善の実行を始めた堀口が「何もない時には往来の犬の頭を撫ぜてやって一膳として帳面へつける」と書くあたりにも、「改心」や道徳というものをことさらに権威づけすることへの醒めたまなざしがある。ちなみに初出連載中は「あゝ玉杯に花うけて」が同時に連載されており、こちらの不良、阪井は劇的改心をみせる。両者の間にはよって立つモラルの違いがあり、後発の「ユーモア」が先行する「熱血」を冷ましていくという関係が雑誌内においてみられる。筆者は最後に「内藤正三は一番内藤正三らしい人間になるのが天下国家のためです。花岡照彦は一番花岡照彦らしい人間になるのが天下国家のためです。」と、旧時代の遺物の象徴である安斎先生に白旗を掲げさせた。
 1974年ほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 相川美恵子