表紙とジャケット 本文 挿絵

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 子どもの日常生活をたくみにとらえた千葉省三(1892-1975)の創作姿勢を方向付けた第一童話集である。コドモ社を退いた後、1925年から26年に『童話』に寄稿した4編、ならびに、28年から29年に同人誌『童話文学』に発表した6編の計10編に、「私の生ひ立ち」と題した随筆風あとがきが添えられている。装幀・口絵は、省三の希望で川上四郎が当たった。本書刊行の1929年には、省三を中心とする創作童話研究グループ「童の会」が発足、月例の合評会で自作を朗読し、熱心に会員の批評を聞くなど、童話創作に邁進していた充実のときであり呻吟のときであった。
 土の香りのする生き生きとした地域語に貫かれた一人称語りを特徴とする郷土性豊かな省三童話の原型は、巻頭作品「虎ちやんの日記」にみることができる。夏休みの「おれ」の日記という体裁をとる本作品は、<おれら>村童の日常と、東京から静養にきた敬ちゃんとおれの二人だけの世界が交互に折り重なって、出会いと別れが活写される。幼少期の千葉は、敬ちゃんに似たひ弱さと小学校長の息子という肩書きを持った子どもであった。自らが憧れのまなざしを注いでいた野育ちの村童を語り部にすえ、対極に自分の分身ともいえる子どもを置くことで、二重の語り手を内にはらんだ作品となった。行動し語る主体「おれ」は、本書所収作「鷹の巣とり」等の後続作品に継承され省三童話の主軸を形作っていった。一方、敬ちゃんの造型は「乗合馬車」等、自伝的私小説の系譜に書き継がれていく。
 書名『トテ馬車』は、子ども時代に郷里栃木を朝夕往復した乗合馬車のラッパの音への追憶に取材したという。トテ馬車は、「乗合馬車」「高原の春」「遠いラツパ」の3作品に登場する。なかでも、巻末の「遠いラツパ」は、トテ馬車をはさんで拮抗する宿の子どもと村の〈おれら〉のいさかいが、一層〈おれら〉のトテ馬車への憧れを描き出す佳作である。
 刊行当時、「国民新聞」(1929.7.18)に、「単なる幼年時代の回想記録と見るには、あまりに芸術的な内容」と千葉の「土への限りなき愛着」を評した同人水谷まさるの書評が掲載される。児童文学が新聞紙上に取り上げられることの稀な時代にあって、本書の世評の高さを物語るとされる。また「鷹の巣とり」は1945年以後の国語教科書に使われた。1971年ほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 松山雅子