函と表紙 本文 挿絵

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 幕末を舞台に、倒幕側に立つ覆面の武士鞍馬天狗と新撰組ら佐幕派との攻防を描いて既に人気の高かったシリーズに、新たに角兵衛獅子の少年、杉作を登場させ、子ども読者にも楽しめる物語に仕立てたのが本書である。続いて書かれた「山岳党奇談」とあわせて大仏次郎(1897-1973)の少年小説を代表する。初出は『少年倶楽部』。「品格があって清冽な表現」(加藤謙一)が他の作家に大きな影響を与えた他に、リベラルでスマートなヒーロー像、人間が、そのモラルとは別に立場や思想の違いによって敵対することがあるということを近藤勇の造形に託して語り、単純な勧善懲悪の図式を越えて見せたことなど、少年小説の質的向上に貢献した。
 初出からの変更が見られる。一つは文章を細かく推敲した点である。例えば「覚えて帰つてお守りにでもして貰おうか、拙者の名は…鞍馬天狗、おわかりかな」の「おわかりかな」は編集部内でも「流行り言葉」(加藤)になっていたものだが、初版では「わかったかな」に変わっている。挿絵画家も変更された。伊藤彦造の挿絵は刺客が暗躍する陰鬱で不穏な幕末の都の雰囲気をよく伝えていたが、初版では、淡白ですっきりした島田訥郎の挿絵を採用した。そのために初出の暗鬱な空気が払拭され、別の作品のような印象を受ける。挿絵の数も減った。とくに杉作が鞍馬天狗に抱かれ、天狗とともに「ひづめに月光をけりくだいて天馬のごとく走りつづける」くだりは、そこに添えられた伊藤の挿絵によって記憶される美しい場面だが、初版では挿絵そのものがない。副題として付けられていた「少年のための鞍馬天狗」も初版では削除された。本書はとくに少年を意識してというより一般向けに出版されたものと推定される。
本書に先だって、連載の途中に渾大防書房から『角兵衛獅子・前編』(1927)が苅谷深隍の挿絵で出ている。また連載中の1927年にマキノから無声映画『鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子』が出たほか、戦後まで繰り返し映画化され、天狗と杉作のコンビは広く大衆に愛された。

[解題・書誌作成担当] 相川美恵子