函と表紙 本文 挿絵

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 芥川龍之介(1892-1927)の書いた10編の童話(うち2編は未完成)のなかから6編を選んで編んだ童話集。芥川にとっては唯一の童話集だが、自死して1年ほどのちに刊行された。巻頭の「序に代えて」を、佐藤春夫はこう書き出している。
「芥川君/君の立派な書物が出来上る。君はこの本の出るのを楽しみにしてゐたといふではないか。君はなぜ、せめては、この本の出るまで待つてはゐなかつたのだ。さうして又なぜ、ここへ君自身のペンで序文を書かなかつたのだ。」
 巻末の「跋」では、挿絵を描いた小穴隆一が「この本は、芥川さんと私がいまから三年前に計画したものであります。/私達は一つの卓子(テエブル)のうへにひろげて 縦からも 横からも みんなが首をつつこんで読める本がこしらへてみたかつたのです。」と書いている。『三つの宝』は、函入り、大判の豪華本に仕上がった。
 芥川は、子どもにむけた自作を「御伽噺」と呼ぶのを好んだ。「蜘蛛の糸」や「杜子春」は、説話性、ストーリー性が強く、その意味で「御伽噺」的ではあるのだが、典拠があり、それを脱構築するかたちで書いていくという点では、芥川のある時期までの小説、「羅生門」や「芋粥」などと明瞭な共通性をもっている。典拠ということでいえば、「魔術」は、谷崎潤一郎の「ハッサン・カンの妖術」をふまえているし、「アグニの神」は、芥川自身の小説「妖婆」の書き換えだった。
 巻末におさめられた童話劇「三つの宝」の結末で、王子はこう述べる。
「我我はもう目がさめた以上、御伽噺の中の国には、住んでゐる訣には行きません。我我の前には霧の奥から、もつと広い世界が浮んで来ます。我我はこの薔薇と噴水との世界から、一しよにその世界へ出て行きませう。」
 「もつと広い世界」とは実人生だろうとは、吉田精一の意見である。そう書いた芥川が強引に実人生から立ち去っていったことは、皮肉なことといわなければならない。
 1971年ほるぷ出版より復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 宮川健郎