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 すでに作家、劇作家として名を成していた佐藤紅緑(1874-1949)が52歳にして初めて書いた少年小説の単行本化。当時、『少年倶楽部』編集長であった加藤謙一が、自分の父親と紅緑とが、かつて庶務場の同僚であったことをたよって、紅緑に同誌への執筆を依頼した。最初は「この おれにハナたれッ小僧の読む小説を書けというのか」(加藤)と激怒したが、加藤の情熱におれて承諾。30万部だったこの雑誌の発行部数を45万部にまで押し上げるのに貢献した。またそれまでは初版は3千部から5千部を印刷するのが通例であったが、以降は初版1万部が普通になる。
 登場する4人の少年は個別の課題を背負っている。その課題の克服過程が、漢文訓読調の歯切れのよい語り口で説かれた。正義とはどうあるべきかという課題を背負うのは助役の息子の阪井巌である。巌が父親の不正に抗議する姿を通して、正義というものが時には孝心を越えて貫かれるべき価値であることが説かれる。友情とはどうあるべきかを体現しているのは雑貨商人の息子の柳光一である。 光一は階級の違いを越えて豆腐屋の青木千三と、親どうしの政治的確執を越えて巌と友情を結ぶ。また好悪の感情を抑えて、手塚にも手を差し伸べる。よく生きるとはどういうことかを伝えるモデルは千三と手塚である。千三を通して、境遇に負けず、誠実な努力と忍耐でより上をめざすことの大切さが説かれると同時に、境遇に甘え、誘惑に負けて堕落していく浅ましき人間のモデルとして手塚が描かれた。正義と友情と立身がきれいに共存しているところに本書の理想主義の魅力と限界がある。なお、少年たちの葛藤と葛藤を通しての改心、成長を描くという方法は、戦後、童話から小説へと児童文学が舵をきっていく時に、一つのモデルとして影響を与えた。
 当時の人気のほどは重版数に認められる。また1929年に東京シネマから、35年には新興から映画化された。1970年講談社から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 相川美恵子