函と表紙 本文 挿絵

(画像をクリックすると大きな画像をご覧いただけます)
 『木の葉の小判』(赤い鳥社、1922)につづく江口渙(1887-1974)の第二童話集。おもに『赤い鳥』に掲載された作品が収録された。
 「鬼が来た」は仏教説話の、「蟻の王子」は中国民話の再話だが、あとは創作のようである。ところが、創作もふくめて、収録された童話はみな説話的な枠組みをもっている。
 巻頭の表題作「かみなりの子」は、地上におちて怪我をした、かみなりの子をとらえて見世物にし、金もうけをした銀次は毒蛇にかまれて死に、かみなりの子を助け出した徳右衛門は黄金の鼠を得ておわる。勧善懲悪的な思想が読み取れて、一時代前の「御伽噺」を思わせる。勧善懲悪とまでならなくとも、強欲な狐が自業自得で死ぬ「慾深狐」は愚かさをいましめる話だし、「鬼が来た」や「鉄銭銀銭」「蛇の頭と尻尾」は愚かさを笑う話になっていて、いずれにしても教訓性の強い物語が多い。
 江口渙は、この童話集の刊行後に、よく知られた童話「ある日の鬼ケ島」(『赤い鳥』1927.10〜11)を発表する。鬼ケ島はお祭りで、鬼たちがみんな出はらって、年寄りの鬼しかいないところへ桃太郎が攻めこんでくる。おまけに、桃太郎の一行はずいぶん弱腰なのだが、それでも宝物をうばっていく。鬼たちがお祭りで「鬼ごっこ」をしたり、雲乗りで「一秒間に三万八千マイル乗り飛ばしたのがレコード」、雷落としは「一分間に千四百六十三落としたのが最高」と大げさな表現に特徴があったりと、昔話を換骨奪胎する意図が明瞭である。そして、この意図は、同じく説話的な世界をあつかった『かみなりの子』にはまだなかったものだ。
 『かみなりの子』は、児童文学史の上でも、作者の仕事の上でも過渡期の童話集ということができるだろう。1971年ほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 宮川健郎