函と表紙 本文 挿絵

(画像をクリックすると大きな画像をご覧いただけます)
 坪内逍遙(1859〜1935)は、本書出版の目的を「子供たち自身が、家の人達や友だちに観せるために演る劇の台帳」(緒言)とし、子どもが演じる戯曲を書こうとしたこと、実際に上演し、逍遥自らが東京のみでなく、大阪、名古屋、神戸、中国、九州の都市でも公演した点に特徴がある(『逍遥選集(9)』)。逍遙の児童劇論はその後、小原国芳の『学校劇論』(イデア書院、1923)等に引き継がれ、本書は児童劇運動の「中心的役割を果たした」(冨田博之)と評される。
 坪内逍遥は、62歳(1920)でページェント劇を提唱するが、そこに行き詰まりを見せ、児童劇に専念するようになる。本書公刊時の1922年11月に帝劇技芸学校生徒による児童劇を有楽座で上演し、続いて『芸術ト家庭ト社会』(1923)『家庭用児童劇第2集』(1923)、『児童教育と演劇』(1923)『学校用小脚本』(1923)『家庭用児童劇第3集』(1924)を刊行した。河竹繁俊は、「ページェントによって社会の芸術化を試みると同時に、児童劇によって家庭の芸術化を試みようとし」(『新劇運動の黎明期』雄山閣、1947)たと二つの運動の連動を評している。
 収めた作品は、、@イソップなどの外国寓話童話の脚色(「田舎の鼠と東京の鼠」「触ると金」等)A日本神話の脚色(「をろち退治」「竜宮」)、B創作(雀の子が初めて飛べるようになる「親雀と子雀」等)の三つに大別することができる
 作品に対する評価は、「物語性」や脚色のすぐれた点を評価しつつも、歌舞伎を演劇活動の主軸としたことへの限界を指摘する意見(落合聡三郎)や、理論との矛盾を指摘する意見(斎田喬、冨田博之)がある。
 なお確認できた第7版(1923.02.15)には、「メレー婆さん」「神楽師の息子銀吉」「をろち退治」「酔た酔た」の4曲の楽譜が奥付前に挿入されている。1975年ほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 畠山兆子