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 有島武郎(1878-1923)が自死した前年、1922年に編まれた唯一の創作童話集で、文壇作家が書いた童話としてだけでなく、子ども時代の体験をもとに子どもの内面にせまった作品として注目された。表題作「一房の葡萄」は、「赤い鳥」1920年8月号に発表された有島の創作童話第1作で、本書の巻頭に掲げられた。有島の童話創作は、1920年から22年の3年間に集中して6編が発表され、表題作を含め4編が本書に収録されている。献辞は母に先立たれたわが子3人に捧げられ、装幀・挿画とも自らの手で行った本書は、父から息子への贈物としての性格が色濃い。
 所収4編中3編が、子ども時代の経験に取材したものである。有島は、童話集刊行の年、『報知新聞』に寄せた「子供の世界」と題する小文のなかで、幼年時代を回顧すると、誰しもあのようなことがなかったら現在のような自分ではなく「もっと勝れた自分であり得たかも知れない」というような記憶が蘇ってくるだろうと述べている。追憶に取材した3作品のいずれにおいても、子ども心に消しがたい羞恥の念、喪失への恐れ、エゴなど、痛みを伴った子ども時代のひとこまを、子どもの視点から活写し、「子供の実感を子供になり代わって書」(自著による本書広告文)こうと試みた有島の童話観がみてとれる。また、当時の複雑な社会問題に真摯に相対しようとするほどに、思想、生活両面の改造を自らに課していくこととなった有島にとって、著しい創作意欲の衰退のなか、童話創作を通して作家としての危機回避を試みたとの指摘もある。
 表題作は、妹と通った横浜英和学校で犯した幼い日の過ちに取材した作品。絵を描くのが好きな「僕」は、自分の絵の具ではどうしても海の藍色と帆船の水際近くに塗ってある洋紅色が出ないことを悔やんでいた。西洋人のジムという級友の持っている西洋絵具の鮮やかな色彩を手に入れたくて、ある日、その二色を盗んでしまう。ジムたちに見咎められ、敬愛する先生の元に連れられた僕を、先生は静かに諭し、一房の葡萄を与え、必ず明日登校するように言う。やっとの思いで登校した僕をジムは暖かく迎え、先生は一房の葡萄を二つに分けそれぞれの手に持たせてくれた。作品は、以来二度と会うことがなかった、その先生の白い美しい手への思慕と寂寥をたんたんと叙して結ばれる。
 1971年ほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 松山雅子