函と表紙 本文 挿絵

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 アララギ派歌人の指導者島木赤彦(1876〜1926)の第一童謡集。赤彦は長野県での長年の教職生活と万葉の精神を範とする信念に基づき、子どもは「質素で樸直な大地の上」でこそ育てるべきだと考えていた。したがって童謡を作る際も、当時流行していた童心主義の作風は、「子どもの感傷的な甘さを挑発したり、上辷りな外面的興味を刺撃したりする」ものだと否定し、童謡を作る大人自身が「自分が先づ質素樸直な心を以て子どもに対き合はねばならぬ」、つまり「大人は大人の愛を突きつめて子どもと交通すればいい」(「巻末言」)という考えに立ち、本書には「うらの小藪の/栗の木林/雪が白くて/木立が黒い」で始まる「木つつき鳥」など写生を特徴にした童謡、「閻魔さま」のようなユーモアあふれる物語詩を収めている。
 収録作品は大半が『小学女生』と『童話』に掲載されたものだが、『小学女生』における赤彦の童謡掲載は前年7月で打切られていた。赤彦は、長野県で旧知だった地理研究者橋本福松が、この年2月に東京で出版社を興したので、その創業祝い代りに童謡集出版を思い立ったという。古今書院という社名自体赤彦の命名だった。
 赤彦にとって、装幀の森田恒友、口絵の平福百穂はアララギの活動を通して早くから親交があり、挿絵の川上四郎は『童話』誌での作品を互いに認め合っていたから、三人共赤彦の執筆依頼を快諾して期待に応えた。赤彦は刊行直後百穂に対し、感激と感謝に満ちた書簡を送っている。
 また本書制作当初、関係者の間で童謡集は音譜がないと売行きが悪いという声が出たらしい。しかし、赤彦は「軽いすべらかな妙な流行節にされるをいやと思ひ」載せないことにしたと、この年の5月の胡桃沢勘内宛書簡に書いてある。質素樸直を貫こうとしたわけである。花々しい脚光を浴びることもなかったが、心ある人々からは大正童謡界に新たな一石を投じたものと歓迎されて版を重ねると共に、翌年11月には第二集、死去3ヶ月後の1926年6月には第三童謡集が発行された。
 1947年12月豊橋の第一書房からほとんど同じ体裁で復刊され、1974年ほるぷ出版から復刻版、1997年には大空社からも復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 勝尾金弥