函と表紙 本文

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 野口雨情(1882〜1945)の第一童謡集で、文芸性の高い初期の童謡71編が収められていて、「十五夜お月さん 御機嫌さん 婆やは お暇とりました…」と始まる「十五夜お月さん」は本居長世の曲がつけられて長く親しまれた。収められたうち約半数の33編は雑誌『金の船』に発表されたものである。内容的には「蜀黍畑」「トマト畑」「十六角豆」「葱坊主」など、雨情がみずから「郷土童謡」と名づけた田園情緒ゆたかな風物詩が際立っている。また表現の面では言葉のリズムやひびきなど、詩の音楽性を重んじていることと、言葉をきりつめた簡潔な表現をめざしたことが、この童謡集に収められた作品の特徴だと言えよう。
 1920年6月、『金の船』の発行所キンノツノ社編集部に勤務しはじめてからの野口雨情は、旺盛な創作力を発揮して童謡を数多く発表した。やがて本居長世や中山晋平などの曲を得て、雨情の童謡は広く子どもたちに親しまれるものとなっていった。藤田圭雄は「日本の近代童謡の中で、一ばん日本的な色彩と響きで大衆の中にあざやかな足跡を残したのは雨情かもしれない。」(『日本童謡史T』あかね書房、1984)と述べているが、確かに今日なお歌われたり口ずさまれたりする童謡は、雨情の作詩によるものが多い。しかし、「赤い靴」「青い眼の人形」「七つの子」「しゃぼん玉」「兎のダンス」「証城寺の狸囃子」など今日まで大衆に親しまれてきた童謡は、いずれもこの『十五夜お月さん』以後に発表されたものである。したがって、この童謡集は童謡詩人野口雨情の初期の文学性を把握するうえで重要な作品集となっている。
 初版刊行後、版元が香蘭社に変わり(第10版で確認)、その際、背に「童謡集」の角書、本扉に「台覧 文部省推薦」と入れた。版元が変わった本も含めて、刊行は少なくとも10版を重ねており、童謡集としては高い売れ行きを示した。このことからも、当時の野口雨情の人気の程を知ることができる。1971年ほるぷ出版から復刻版が出た。

[解題・書誌作成担当] 畑中圭一